アン・ルイスが偶然久しぶりに部屋に流れました。

「六本木心中」です。

 

 

♪だけど心なんて お天気で変わるのさ…

 

はたと意識が止まりました。

変わったのは心か?

どうやってわかるのか?

 

変わったのは、一つは「言動」。

これはわかります。

それを変えたのは。

変わったのは。

「判断」

ではないのか。

 

それを「心」と呼ぶのか。

心はそう簡単に変わるものか?

 

どんな判断にも、満足や後悔があるはず。

(なければ、まさにただの反射であります)

その前提は「価値観」。

価値観は、行動の前提ではなく、結果や予測への満足・不満足・不安などの根源といえましょう。

 

例を挙げますと。

駅で、あるいは電車の中で、若者が後ろポケットから財布を落としたのを見た時。

声を掛けるときもあれば、無視するときもあるでしょう。

その背景の事情をいろいろ思いつくでしょうが。

(あえて書きませんが)

そこに何かしら感情を感じるのは。

「親切が『いいこと』」という、本能を越えた判断基準があるからです。

 

そういう価値観をこそ、心と呼ぶ。

そして、幾多の事情や背景に打ち勝って、自分の心に満足を与えられること。

それが「生きる意味」でありましょう。

 

ここで記事を切っていればもう少し「いいね」が増えるのでしょうが…

 

フランクル(ヴィクトール.E.フランクル、1905~1997)は、「価値」には「創造価値」と「体験価値」、そして「態度価値」があるといいました。

創造的なことをする満足。

体験する満足(愛の体験を含む)。

そして、人生のどうしようもない苦難に立ち向かう価値です。

本能を越えた価値基準があるからこそ、「何も得ることがない」はずのときに大きな満足を得るのではないでしょうか。

これらの価値を感じることが「生きる意味」なのだということです。

お天気で変わる「判断」に、一本筋を通したい。

 

♪言葉じゃだめさ 男らしさをたてておくれ…

 

あ、言われてしまった。