なんとはなしに、「頑張りのきかない体になってきたな…」と感じていました。

あと、体が硬くなってきたと自覚してきたのです。

 

所属長として、パワハラ、セクハラは絶対いけない、そう言い聞かせて、発言の一つ一つに自制をし、宴会でもいくら飲んでも酔えず乱れず締めの挨拶をし、誰にも本心から愚痴を言えない緊張の中にいました。

また、新人募集は毎年不可避でした。自分としては予定の人数にランディングさせ、数年はメンバーも固定して、安定した組織を作りたいのに、辞めていく者がいるので(その都度家族が巣立つような、身を切られる思いがしたものです)予定以上の募集をしないといけない。

辞めていく者に対して、お互いのいろいろな理由はあれ、この職場、この法人が、彼ら彼女らを満足させられなかったのだ、改革が間に合わなかったのだという済まない思いと恥ずかしい思いを持っていました。

 

こんなことがいつまで続くのか。

 

もし定年まで同じ職を勤めなければならない(後継者が育たない、または育っても辞めていく)ならば、リクルートをあと20数回行うだけのこと。だけ、って…。 気が遠くなる。

 

雇ったからには食わせて行かなければならない。

いかに有意義な仕事を産み出すか、あるいは徒労に近い仕事に意義を持たせるか、そしてそれに納得してもらうか、それを増加していく課員一人一人に直接語りかけるために、半期に一度の評価面談は必ず自分の手で全員行うのだ、と気負ってもいました。

また、極力良い環境で仕事ができるように、またできるだけ有意義な仕事が取れるように、課だけでなく、病院全体を変化させようと、他部署・管理職・経営陣に対しても飛び込んだり、説得したり、時には糾弾したりもしていました。

(一番大きかった「evil」「enemy」は看護部長でした! この人は…と入れ込んだ方は短期政権でした…)

 

今思えば、傲慢なワタシでした。自分がすべてを代表できるわけではないのに勝手に背負っているのですから。

 

いろいろなモノに支配され、とにかく、体が重くなり、頭が重くなり、笑えなくなっていきました。

鈍重になり、やらなければならない最小限のことをこなすのが精いっぱいで、新しいことを打ち出せなくなっていきました。それもまた自分にとって耐えがたいことでした。

やはり自分がこの座にいてはいけないのか。

早く後継者に場所を譲らなくてはならないのではないか。

長期政権は腐敗する。自分の存在が権威となってしまってはいけない。ワタシの信念でもあります。長くやるわけにはいかないと思い詰め、自分の手で自分の思う方向に改革を進めたい気持との、誰にも言われていない条件下での自分の中での葛藤が始まりました。

 

考えが自分の中でぐるぐる回り、まっすぐな思考ができず、非生産的な状態で疲労がたまっていきました。

昼休みは机に突っ伏して十数分寝るのでした。その間も部下たちが相談報告進捗状況確認など話しかけてくるのでした。

タイムカードでの残業時間は百時間を超えました。あ、死んだ、俺。とつぶやきました。