ケネディ暗殺の機密文書全面公開が延期されたらしい。
CIAに都合の悪い内容があったとか、旧ソ連の暗躍があったため対露関係悪化を恐れたトランプによって止められただの
いくらでも適当なことを書けそうだが、別段そういったことに興味はない。

ジョン・F・ケネディはドワイト・D・アイゼンハワーの副大統領であったリチャード・ニクソンとの歴史的接戦を演じ、
1961年に第35代大統領に就任した。
ニクソンとのテレビ討論は有名で、一般的にはこれがケネディの勝利を決定づけたとされている。
主たる内容は、中国国民党敗北によって我々は中国を失っただとか、アメリカの威信についてに重きがおかれる中
宇宙開発競争についても討論が行われた。ケネディはニクソンに「あなたはフルシチョフにテレビの方が優れていると言い放ったが*1、有人宇宙飛行の方が技術的に優れているに決まっているじゃないか」と口撃した。
このようなケネディの強い思いから進められたのが「ニューフロンティア計画」の宇宙開発の部分だ。
ソ連との宇宙開発競争に舵を切ったというのが自然な解釈だが、どうもケネディの論理だと違うらしい、就任演説の内容をもとにするとこうだ。
 ソ連との競争をする気はない→宇宙はこのような争いのない平和の土地であるべきだ→宇宙に先に到達した者がこの土地をどう位置づけるかを決める→だからソ連との宇宙開発競争に勝利してアメリカが平和の土地にするべきだ
なんというかまあ、「理想現実主義者」らしい答えである。「全ての戦争を終わらせるための戦争」と同じ過ちをおかしているような気もする。
一方ではカトリック教徒の側面もここでは見せていると思う。
カトリックにとっての宇宙進出は宗教的には、神への「接近」・未知への挑戦ぐらいの意味はあったであろうが、それ以上のことでは果たしてなかった。
地動説もファンダメダリストには脅威であっただろうが、そも神は宇宙自体を作っているし、世俗的に存在まで揺るがすような出来事ではない。
宇宙も地球と特に変わらない「土地」であり、それ以上でも以下でもない。
「ソ連の宇宙主義」の考えはこれとはまるで違っていた。
宇宙旅行の可能性を証明したコンスタンチン・ツィオルコフスキーの「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という言葉に代表されるように、
宇宙とは神の世界で、手の及ばざるところ、さらには宇宙に到達することで科学は飛躍的に進歩し、人間は不死を獲得、死者が復活することまで提唱された。
それに代表されるのが、タルコフスキーの汎神論映画「惑星ソラリス」であるし、「氷の再来」などの小説でも、その節々が伺える。
核危機に関しても、無関係ではないように思う。ケネディは核を使うことに、おそらくは脅しだけではなくそれによって及ぼされる悲劇も承知の上で、最終的には使用も辞さない覚悟であった。
そこまでしてようやく抑止力(イコン)の効果が得られると考えていたからだ。デタントも膨大化する軍事費の削減目的でしかない。
ソ連はフルシチョフによるところが大きかっただろう、彼のなんというか、有能ではあるけども見栄っ張りで激情的な性格によるものに思う。

ここらの事柄はそこまで詳しくないにも関わらず、随分と適当なことを言ってしまった。

*1いわゆる『キッチン論争』アメリカとの融和を目的に訪米していたフルシチョフと、副大統領ニクソンとの間で、キッチン用品を使って資本主義と共産主義どちらが優れているかの議論が行われた。
内容を詳細までには覚えていないのだが、二人がアメリカ製の包丁やら食料品を手に取って討論する中、レポーターが「これがアメリカの技術テレビです、ソ連にはこんなものないでしょう?」と尋ねると、
フルシチョフは鋭く反論して、「そんな不要な贅沢品、ソ連にはいらない。我々には宇宙ロケットがある。宇宙は素晴らしい」とそんな感じだったと思う。
スターリニズムは捨てても共産主義への思いは捨てていないフルシチョフと、資本主義社会の価値観の何か超えられない壁を感じた。