ロレンスが同性愛者であったかどうか、というのはよく論議にあがる。バイセクシャルかアセクシャル(無性愛者)か、である。
映画版では完全に同性愛者説をとっている。ロレンスを女性的に表現したピーター・オトゥールの名演、出てこない女優、オマージュ、明らかである。
この問題は彼を知る上で、非常に重要なテーマだ。学者の間ではこれに「違う」というと攻撃的に潰しにくる人間もいるらしい。
それは抜きにしても現段階で軽々しく語るつもりはない、これは後に回す。なにせ同性愛への理解の時点で乏しい、なので実体験から少し手繰りたい。

子供のころは昔はまあよくからかって、事実に関わらず人にゲイだのホモだの言ったりしていた。知識がなかったからである。
そういったものは壁の向こう側の世界で、宇宙人と特に変わらない。わからないものを取り敢えず馬鹿にして放置するのが残念ながら子供だ。大人が人間にしてやらなければならない。
周りを人間でないものと馬鹿にして、自分もなかなかどうして人間にはなっていなかった。
それはいいとして、図書館で言い寄られたことがある。言ってきたのは長身でルックスもよく、(虫唾が走る)カーストというやつも上の男だ。
最初はふざけているのだと思っていたが、「なんでドキドキしないんだ?」とまで言われた時、ああこれはもしかしたらまずいんだなと直感した。BL好きなら涎ものの展開だ。
陸軍幼年学校の裏の歴史は同性愛だと言われるが、なるほど狭い社会だとそのような感情が増長するのだろう。
それにあいつはよく女にモテたが、女に対してウブであった。それが、男という存在に、さらに限定されていったに違いない。
自分はというと上述したように、世界に同性愛というのは確かに存在するが、自分周りの世界では「ファンタジー」だと思っていたし、
言い寄られて違う価値観に屈する「マゾヒズム」も持ち合わせていなかった。サディズムだったり征服欲も持ち合わせていないのがおそらく今にも通ずる問題なのだが、
ちなみに事は途中から人が入ってきたので、体を触られる程度で終わった。

特に目覚めもなかったのだが、実体験でなるほど美しさも感じた。「ファンタジー」であって美術的だ。
さすがに「行為」にまで走ると、生々しさを感じざる負えないが・・・
「男と女」に置き換えると逆である。過程にはどこか下衆さを感じるが、健全な行為だけなら芸術的だろう。
女性が「女と男」を見る視点だと、おそらくはさらに逆転する。セックスで「電気を消せ」というのはその最たる例である。
男は視覚的に感じたいが、女は頭の中で何かを作って感じている。行為自体はどこか恥ずかしい(罪)と考えているのもあるだろう。

ロレンスは第四三章で、別れにダウードがサアドの手にキスをするのを見て、こう記す。
「彼らは、東方では女とのつきあいがないことからありがちな、少年同士の情愛の例らしかった。それは、この場合のように、肉欲の染み付いたわれわれの考えの及ばない深さと強さをもった男の愛となることが多い。
アラブにあってはどんなに熱烈であっても思いやりが深いだけでは無邪気なものであって、性的なものが入ると、情熱の強さは彼らの結婚*1に見られるような一種の打算に、非精神的な関係に移っていくのだ。」
まあこれはロレンスが同性愛者であったかどうか、というキーにはならない。
だが、こういった精神的な関係を好んではいた。そういう点では女性的ではある。逆に野蛮な肉欲は嫌っていた。
非常に難しいテーマであるし、ヘレニズム文化にも触れてみたい。

*1ムスリムでは女性はクルアーンに従い、女性の風俗が厳しく制限されていることはよく知られている。
ところが結婚すると、これは男女間では一変する。ムスリムはその制限故に、セックスするために結婚をするからである。ムスリム世界がやけに人口密度高いのはこのためだ。
彼らには快楽など禁欲は存在せず、女性もこの限りではないのだ。この点で言えばムスリム女性は性に自由で、現代の日本のように行為を恥ずかしいと思うのは実にキリスト教的だ。