小学生だか中学生の頃に、理科の自由研究でダイオウイカを中心に深海生物について調べたことがある。
深海生物を選んだ理由は、巨大でミステリアス、それでいて奇怪な姿をする存在に惹かれたという、子供にはままある興味だった。
いろいろ調べていくにつれ、ダイオウイカを中心に据えることに決めた。ダイオウイカは北欧神話に登場する「クラーケン」のモデルであるということを、
そのときに初めて知り、クラーケンはタコであると思っていたので、その時は-全くもって安易に-知的興奮に浸った。
夏が終わり、自由研究を発表することになった。だが、何か周りの太陽光線だとか種子の交配だの発表を聞いている内に、自身の研究がどうにも幼稚に思えてきて恥ずかしくなり、発表当日は学校を休んでしまった。
翌日、理科の先生に会うと「おもしろい研究なので発表してほしかった。」と言われ、うれしかったのと若干後悔したことを今でも覚えている。残念なことに、あのころと自分は大して変わっていないようだ。
この第58章は、ピークオッド号が主檣頭から白いかたまりを目視し、「白鯨だ!」と水夫たちに緊張が走るが、その影は不吉の前兆とされるダイオウイカであった。
という言わば、「犬のクソを踏んだ」ぐらいの話で、別段ストーリーにとって重要な章でもなんでもない。
前章「オキアミ」で、ノアの大洪水は今なおひいていない、弱肉強食の終わることのない連鎖がその証拠である。であるから、人は神の方舟たる魂のタヒチ島からこぎ出すべきではない、神よ我らを守りたまえ!
と、メルヴィルのいつもの調子且つ、いつもにも増してまくし立てていたのと比べても、ずいぶんと小休止的な内容になっている。
そんな中でも、もちろんクラーケンには触れていて、エーリク・ポントピダン司教の語る大クラーケンはダイオウイカであろうが、大きさは割引しなければならないと記している。
そして最後にメルヴィルは、ダイオウイカはコウイカ目に分類するものがいるが、巨人(アナク)族であるというサゼッションを提示する。
アナク人はネフィリムとも呼ばれ
「民数記」13・32-33 「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする物を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。
我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない」
「創世記」6・4 「その頃、またその後にも、地にネフィリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。」
に登場する。ようはアナクとは神と人間との合いの子で、異世界の住人である。なるほど、この世のものならぬ、つかみどころのない、生命の偶然の発現。ダイオウイカそのものである。
ピークオッド号はこの異世界の住人との邂逅を合図に、まさに神の世界、白鯨との戦いへと突入していく。
