-御由緒-
神代の昔、本殿の背後北北西に位置する秀峰・神山に御降臨になり、第四十代 天武天皇六年 (677)には、山背国により賀茂神宮が造営され、現在まで殆ど変容することのない御社殿の基が築かれました。
第五十代 桓武天皇による平安京遷都以降は、皇城
護の神・山城国一之宮として歴代の天皇が行幸・奉幣祈願され、明治時代以降大東亜戦争終戦まで伊勢の神宮に次いで全国神社のなかでも官幣大社の筆頭となりました。
古より皇族はもとより、貴族、武家の社参相続き、現在も多くの人々に崇敬されています。
平成六年には二十三万坪の境内全域が「古都・京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されました。
-御神紋-
上賀茂神社は、社殿のそこかしこに葵(二葉葵)の文
様が刻まれた金具で飾られています。また北東の杜には二葉葵が群生し、訪れる人々を迎えます。
葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」とは「神霊」神を意味し、葵とは「神と逢うこと」であり、また「逢う日」でもあるのです。御祭神降臨の際に「葵」を飾り祭りをせよとの御神託があったことから、御神紋となり社殿を飾り、神と人とを結ぶ草として古来大切に守られてきた植物でもあります。
楼門を望む一角では、結婚式だったのか、
写真撮影が行われていて眼福でした
そういえば、本殿、権殿の前の中門にも
棚尾神社という社が門にくっついたようにあり、
びっくりしました
珍しくないですか
そして、摂社、片山御子神社
(かたやまみこじんじゃ)⛩️へ
上賀茂神社⛩️へはバスで行きましたが、
せっかくの賀茂川。
休憩しながら、ゆっくりと歩いて参りました
ここではないのですが。。
途中、川の飛び石の橋❓を渡り、向かいの岸へ
渡り出して。。よく考えたら冬だし、
落ちたらどうしようかとヒヤヒヤしながら
ゆっくり、確実に、渡りました
綏靖天皇(BC581年)の御世より御生神事が行われたという伝承があり、楽神天皇七年(BC90)に社の瑞垣が造替された、とのご還宮がはじめられた記録がみえます。
垂仁天皇二十七年(BC2)には御神宝がたてまつられました。
鈦明天皇五年(511)四月から賀茂祭(葵祭)が行われました。
もともと、
上賀茂神社と下鴨神社は
賀茂社という一つ。
5月に行われている葵祭も、
一緒に行われているようです
北側にある鳥居から入りました
鳥居の前に大炊殿(おおいどの)という、
神饌の煮炊きをする場所が
有名な、御手洗社(井上社)の近くから入り、
浦の廻廊というところを通り、
見学することが出来ました
浦の廻廊は、本宮、三井社の裏を通り、
何だか神聖な空間✨
氷室もあり、井戸や昔の台所の様子など見れ、
とても感慨深いものでした
同じ敷地には御車舎もあり、
牛はいませんが、牛車が停めてありましたよ
隣り、本宮横には三井神社⛩️が。
玉依媛命さまとご両親の神さまです。
そして、手前には諏訪社、
小杜社、白鬚社。。
諏訪社は建御方神(たけみなかたのかみ)で
農耕の神さま。
小杜社(こもりしゃ)は水分神(みくまりのかみ)で
水をつかさどる神さま。
白髭社(しらひげしゃ)は
猿田彦神(さるたひこのかみ)で
すべての物事を導かれる神さま。
こちらも、神さまいっぱいです
下鴨神社でも、
結婚式の写真撮影を2組ほど見かけました💕
あっ、お宮参りも
干支の神社、言社を詣り、御本殿参拝場所へ。
そして、みたらし団子発祥でも
有名な御手洗池🍡
御手洗社のご祭神は、
瀬織津姫命
(せおりつひめのみこと)🐲
祓戸四神の一人で、払えの神さまで、
龍神さまとも🐲
近くに縁結びの相生社
(あいおいしゃ)もあるのですが、今回はお目当ての、
隣りのさるや休憩所へ
お目当ては、
明治の神社祭礼制度化で、
庶民に伝わってきた習慣が
廃止され、
140年も姿を消していた
葵祭の名物、申餅(さるもち)🐒
無事息災を願い、
葵祭の申の日に食べられていたそう。
小豆のゆで汁でつけた伝統色
「はねず色」は、明け方の一瞬、
空が薄あかね色に染まるときの
色で、
命の生まれる瞬間を表す色とか
葵祭のときに神職が禊ぎとして飲む黒豆茶の、
「まめ豆茶」とのセットは売り切れてましたが、
ほうじ茶でいただきました
そして、
有名な糺(ただす)の森を抜け、
河合神社⛩️へ。
パンフレットには、鴨河合坐小社宅神社