銀行時代についてお話します。
Bangchangは大学卒業後銀行員になり23年間在籍
滑り出しは好調で、外回りでも3~5年生の時にトップクラスの営業マンでした。
紙を扱う業種の多い神田神保町で神田川があふれて多くの事業者が被害を受けた時に
早朝からタオルを配ってまわり、一緒に傷みを味あい、共感しながら仕事をしていくことを覚え
爆発的な成果に繋がった経験をしました。
相手を思いやる心のつながりが基本ですね。
金融自由化が進み始める中、銀行の本部でクレジットカード会社3社の担当
各種ローンの企画、全銀協で3情報機関の交流対策を経験。(金融機関がブラック情報を相互に買える様になる。)
個人信用分野の草創期で今でも通用する“ローンの考え方”が整理されました。
今の与信信用上の銀行の脇の甘さは情けないな
その後、組合労働時間対策部長(男女雇用機会均等法施行時)、教育研修、支店経営後
商社に出向し、ケイブルTV会社設立。
自ら事業を行った経験(銀行員としては珍しい。)から、銀行に戻り成長企業支援室を立ち上げ、初代室長になりました。
銀行の企業支援は、銀行自ら成長支援をなかなか行えないのが実情。本当はノウハウもあまりない。
やっていることは、伸びそうな会社を探してくること。
伸びそうな会社を探してきてリスクを極力ミニマイズしながら貸出を増やせる人が優秀な人です。
それはそれで大事なことだけれども、Bangchangは経営に関与し、問題点を解決することで
与信リスクを減らし、社会にも貢献したかった。
この想いから、銀行の合併を機会に経営者に転進
銀行時代から、『何事も我が事として考えるをモットーに!』なんて生意気を言ってたけれど
社長として事業リスクを抱えて海外を飛び回り、何回か苦渋をなめ自らの甘さを思い知らされています。
それでも事業を通じて皆さんのお役に立ちたい
銀行員時代からの想いは一層強くなっています。