前回に続き、JRA札幌競馬場を訪れた際の記事となるが、まず話は一年ほど前に遡る。

仕事で使う手帳を買うために、会社帰りに大きめの書店へと向かった私。
目的のものはすぐに見つかったが、その後に競馬関連書籍コーナーに立ち寄る。なにか、ばんえい競馬に関する新刊は置かれていないか。まぁないだろうけど。
それは予想通りだったが、どうでもいい馬券必勝本やらに混じって平置きされた一冊の本に目が留まった。



 

「尾形藤吉 ~競馬界の巨人が遺したもの~」

著者は、小檜山悟。
帯には、松山康久。

中央ファンだった頃の私は、馬より騎手より調教師が好きだった。
昔も今も馬の血統には疎いが、調教師のほうは、Wordでお手製の系統図を作っていたほどなので、両名とも尾形藤吉を祖とする尾形一門だということは、すぐにわかる。

パラパラと数ページ立ち読みしてみたが、これは間違いなく、私が好きな類いのものだと思った。
だが、もう中央にさほど興味がないし、今さら尾形藤吉を知ることに何の意味があるのか。今後の役に立つこともなかろう。
そうも思ったので、その日は買わずに帰った。

しかし、その後ほどなく、今年(2022年)は尾形藤吉の生誕130年にあたり、府中の競馬博物館にて特別展が行われることを知る。
引退すなわち死去から40年以上が経っても特別展が開催される調教師など、大尾形を措いて他にいようか。
これはやはり読んでおかねばならぬ、と改めて買いに走った次第。

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その特別展が、縮小版ながらも札幌競馬場でも開催された。
そして9月3日には、尾形充弘・元調教師のトークショーも行われた。
今回訪れたのは、この二つが目的だったと言っていい。前回の記事で、11時頃に到着したと書いたが、昼休みの時間帯に行われるトークショーに合わせたもの。



MCは福原直英アナウンサー。
私はフジテレビの競馬中継といえば「スーパー競馬」だし、深夜の「うまなりクン」も見ていた。懐かしい笑

メモを取りながら拝見してきたので、一部をご紹介させていただく。

まずはグラスワンダーの話からスタート。
・朝日杯「これは勝てると思うレースなどないが、この時は自信があった。的場には外回っても良いから中に行くなと、それだけは指示した」
・宝塚記念「スペシャルウィークが動いたら迷いなくついて行け、と的場と話した」
・二度目の有馬記念「(宝塚とは位置取りが逆になり)スペシャルウィークをずっと見ていて、坂を上がった時にやられると思ったが、思った以上にウチの馬が頑張った。
でも負けたと思って下に下りた。豊くんがウイニングランもしていましたし笑」

本題とも言える尾形藤吉について。
「調教師になった時に、松山吉三郎さんから『尾形の名前は重いぞ』と言われた。それをやめるまで背中に背負った感じだった。その一言が重かった」
「保田隆芳さんや八木沢勝美さんにも、『尾形藤吉に迷惑はかけるな』(筆者注:名を汚すな、の意だろう)と言われた」
「厩舎では厳しく無口で、私にしてみればお祖父ちゃんではなかった」
お祖父様は日本ダービーを8勝、の問いに対しては、
「第3回フレーモアが最初で、その後トクマサ、クリフジ、クリノハナ、ハクチカラ、ハクシヨウ、メイズイ……」
と、じつにスラスラ。
軽妙な語り口でありながら、重みのある話が続き、何より札幌で見られるのが貴重なことだ。

最後にファンへのメッセージを求められ、まずは型通りの挨拶をした後に、
「後半、そして明日(みょうにち)も競馬をお楽しみいただければ、関係者として有難く嬉しく思います」

文字だけでは伝わらないが、丁寧で低姿勢で、ファンに対して心よりの感謝が込められた雰囲気を感じた。
本当にイメージだけで申し訳ないが、こんな言葉が自然に出るとは、ちょっと意外にも思えた。
悪い意味ではなく、極端に言うとファンを見ている余裕などない調教師生活だったのでは、と勝手に想像していたもので。

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特別展の様子。



スタンド一角の狭いスペースで、縮小版だけあって正直ちょっと物足りない気もしたが、そう感じさせるのも尾形藤吉の偉大さではないか。

 


左から、野平祐二、保田隆芳、八木沢勝美(かな? 違うかも(^^;)、尾形藤吉。


千明牧場といえば、のちに松山康久ミスターシービー。

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尾形藤吉の日本ダービー8勝目は、1977年ラッキールーラ。
手綱を取っていたのは、最後の弟子とも言われる伊藤正徳。かつてトクマサで制した、父・伊藤正四郎に続くダービー親子制覇だった。
馬主は吉原貞敏。後年に用いた「エア」の冠名は、勝負服とともに長男の吉原毎文へと引き継がれる。

その時2着の皐月賞馬ハードバージの調教師は、伊藤雄二。
師匠・伊藤正四郎の娘を妻に迎えており、つまりは伊藤正徳の義兄。
大師匠と義弟によって奪われたダービー勝利のチケットを手にするには16年後まで待たなければならなかったが、やがて吉原毎文の所有馬で数多の勝利を挙げ、自身の娘婿である笹田和秀へも縁は続く。


1999年の安田記念。
断然の人気を集めたのは尾形充弘のグラスワンダーだったが、2着に敗れる。ゴール前でわずかにハナ差とらえたのは、伊藤正徳のエアジハード。



中央競馬のことを語ろうと思うと、どうしても昔話になってしまうが、こういった競馬の見方が、私は好きだった。