今夜のスーパープレゼンテーション出演者です。

(元記事)
http://www.pbs.org/wgbh/nova/physics/mandelbrot-fractal.html
  Posted 10.01.08 by NOVA

(内容)

「雲は球形ではなく、山は円錐形ではない。海岸は円形でないし、樹皮は滑らかでなく、雷は直線的に落ちない」 著名な数学者ブノワ・マンデルブロ氏は革新的な著書「フラクタル幾何学」にこう書いている。その一方で、多くの人工物と同様に、自然物のフォルムは「ラフ」であると彼は言っている。彼が「フラクタル」という単語で表した、そうした「でこぼこ」の形を究めようと、マンデルブロは、不規則形状に基づく視覚的数学という新たな分野を考え出した。彼が新しい数学と呼ぶように、フラクタル幾何学は我々が学校で学ぶユークリッド幾何学とは全く違う世界であり、金融、金属、宇宙、医療など、様々な分野で新発見に繋がっている。

今回のインタビューでは、なぜ公式を軽視するのか、なぜ評判になるとすぐにフラクタルの研究を捨てたのか、などについて、フラクタルの父から聞くことが出来た。






<でこぼこを堪能する>

○「私の人生はでこぼこの概念を一途に極めることだった」と言ってますね。どういう意味ですか?

実はでこぼこという言葉は文脈によって意味が違ってくるのです。私が20才になる前、WWⅡが終わりを迎えるまで、私の人生はどんどん苦しくなっていました。誰もコントロール出来ない歴史的出来事のせいです。しかし、20才になって状況が変わりました。明確なプランや決意があった訳ではありませんが、私は、不規則に変化して影響を及ぼす一方で、平均化せず重大な意味をもつ様々な現象に魅了され、熱中するようになりました。この時ようやく、皆が言っていたことに不信感を抱き、全く違うやり方で反論しようと思ったのです。

○どのように?

でこぼこに対する大勢的な見方は「自然の書物は数学の言葉で書かれている。その文字は円、三角形、他の幾何学図形である」というガリレオの有名な言葉に表されています。円は完全形、三角形は3つの角と平坦な直線です。こうした平坦な性質については、規則的な方法で全てが進化するとみなす方程式を用いるなど、様々な方法で研究されています。




○それで、先生は平坦でない方を追求したんですね?

その通り。私は全く異なる系統の分野かもしれないが不規則で断片化した共通の性質を有する現象に生涯を賭けることになりました。例えば、天候などです。この若い頃の選択が軌道に乗るなどとは夢にも考えていませんでした。私の興味、方法、自信は毎年のように変化していましたし、継続的に頂く優しいコメントと辛辣なコメントの両方から多くを学んでいました。しかし、私が追求した方向は既存の言葉で説明されたものなどありませんでしたから、とても孤独でした。1975年、私の研究から一つの言葉が生まれました。フラクタルです。ラテン語の形容詞「fractus」は割れた石のように不規則で断片化したものを意味します。本のタイトルに相応しいとフラクタルという概念を突然思い付いたことで、実質的に何か変化があった訳ではありませんが、私の研究の見方という面では大きな変化をもたらしました。この言葉は多くの辞書に見ることができます。

<自然のシンプルな形態は両手で数えられる程しかない。その他は全てラフである>

○たった一つの言葉が研究の見方を変えたんですか?

そうです。それに私が研究していた多くの物体に対する秩序度も与えてくれたのです。ある意味、私にとって同じような匂いのする現象の親玉に惹きつけられたと言えます。友人達は私のビジョン(洞察力)を称賛してくれましたが、ビジョンというよりむしろ鼻が効くんだと思います(笑)。ビジョンという言葉は、私が限界に到達し振り返ってみた時にのみ当てはまる言葉でしょう。




<無限に広がる応用>

○フラクタルは美しいですが、それ以上に意味があるということですね。フラクタル幾何学の用途は拡大していくんですか?

もちろんです。フラクタルは「美しい反面、本当に使い道がない」と言われるのをどれだけ聞いたことか分かりませんが、とんでもありません!一つ例を挙げますと、私の研究は非常に神経を使う株式相場から始まったのです。

○今日では色々な分野で応用されていますね。

信じられないほど数多く、多様に応用されています。ここ数年で一気に増加しました。中には明らかなものもありますが、それは極めて重要なことなのです。例えば、ワイヤレス・アンテナで言えば、以前は棒状でした。その後、曲がったり、クロスした棒状アンテナが出てきましたが、そうした複雑なものはグッドアイデアではありませんでした。性能を予測できなかったからです。そしてある時、その分野に携わっている若者が私の著書を読んだのです。それで、どうしてアンテナをフラクタルにしないのかとなった。今やフラクタル・アンテナはありふれたものとなっています。




○コンクリートもフラクタルになったんですよね?

そうです。コンクリートはローマ人にとって知られた存在でしたが、その後忘れ去られ、再度日の目を見なければなりませんでした。当時は不透水性ではなかった。通り抜けた水がコンクリートを溶かし、塊りが剥がれ落ちるようなものでした。そういう経緯を経て、今のコンクリートが生まれました。多くの物理学者はこうした研究を手掛けました。十分に支持を得た分野だったからです。2004年に開催されたフラクタル応用に関する会議で、画期的に強度が高く耐久性のある全く新しいコンクリートを1人のスピーカーが紹介しました。それはフラクタルの深い理解に基づいた形状をしていたのです。他にもシンプルな例を挙げましょう。高速道路沿線に住む人はその騒音に悲鳴を上げていますが、騒音を抑える為のフラットな壁は音を跳ね返す為、あまり効果的ではありませんでした。政治的要請に応えるようとして「音を吸収するフラクタル表面の壁が防音に有効」とする、素晴らしいアイデアを友人が閃きました。こうした洞察が現在のテクノロジーに内在しているのです。

○でこぼこの壁は自然が作ったようなものですね。

まさしく。実際のところ、シンプルな形状はごく僅か。瞳孔、虹彩、月など、自然のシンプルな形態は両手で数えられる程しかありません。その他は全てラフです。しかし、周囲を見渡せば殆どの工業製品スムース、丸い、平坦、波型などの形状をしています。今、それが変わりつつあるのです。世界中のエンジニアがフラクタルの使い方を知ったのです。




○医療でさえフラクタルを取り入れていますね。病気の解釈とか。

そうです。軽いオペを受けた人なら健康な心拍がいかにむらがあるか理解出来るでしょう。歯科治療の時、些細な指先の感触でどれほど心拍に影響するかを見るまで、こうしたことは頭で理解していただけでした。私は自分の心拍を聞くことができました。私は健康な老人ですが、心拍はとても不規則です。これがフラクタルを用いて非常によく説明できるのです。病気の進行を観察するのにこれが役立つに違いないと多くの人が期待しています。

○フラクタルを用いたものをチェックしていますか?

フラクタルについて書かれたものを全て読んでいるかって?そんなこと、しようとも思いません。みんなよく私に報告してくるんです。「とても興味深い報告です。ご存じなければと思って送付しました」ってね。会議に行って新たなことを聞く機会はあります。しかし、全てをフォローすることは出来ません。私は信奉者たちが新たなものを創りだしたら、関わらないようにしているんです。

○どうしてですか?

マンデルブロ集合はロケットみたいに飛び立ちました。そして1年もしない内に、数百万人がこれに関わることになりました。その数と力に圧倒されたんです。私は孤独には耐えられますが、集団の中では落ち着かないんです。集団は日時、伝統、鍛錬によって組織化される使命にあるからです。私は数学者という感じではないんです。物理学者でも美術評論家という感じでもないでしょう。誰かが新しいものをもたらした時、よそ者でいることは非常に大きな強みなんです。




<子供時代>

○先生は自身を一匹狼と呼んでますね。どうしてそういう危険なライフスタイルを選んだんですか?

昔のヨーロッパ政治が私の子供時代をとても複雑なものにしました。両親はリトアニア出身ですが、私はポーランドのワルシャワで生まれました。少なくとも二回、私は外国人として過ごしたのです。それで私は大きく変わりました。幼くして大きなリスク、大きなギャンブルを背負わざるを得なかったのです。

○それが、11才の時にご家族で1936年にフランスに移住した理由ですか。

母は非常に教養の高い女性でした。数少ないロシア人女性医師の1人でした。彼女は息子達に壮大な野心を抱いていました。しかし、私達は全てが不安定な世界に住んでいたのです。私達は新聞を読みませんでした。読んだ内容が生活の全てを変えてしまうほど大きなことだったからです。

<勉強したのは本だけじゃない。自然から学んだ>

母が50才の時、私がまだ理解できないような決断をして、フランスに移住しました。母はパリのスラム街の孤独な主婦になる為に、職を捨て、ルーツを捨て、友人を捨て、社会的地位を捨てたのです。両親は、生活していくのに良い環境になると言っていました。

〇貴方個人にとって戦争とはどんなものでしたか?

節目は1944年でした。私は19才でした。20才になると、戦時中は軍隊に入るのは遅すぎますが、何が起こっているのか知るのに遅すぎることはありませんでした。持続的な不安感によって生存本能と呼ばれるものが顕在化していきました。危険な状況においては口を慎み、関わりを避けるようになったのです。




〇小さい頃はどんな教育を受けたのですか?

読み書きについては覚えていませんが、幼い頃チェスを習ったのをよく覚えています。チェスは非常に幾何学的ゲームでして、幾何学的に記憶することが重要なのです。ポーランドでチェスは非常に人気があります。私は地元で優勝し、本格的に競技するよう後押しされました。他に思い出す限りでは、父が地図のコレクターマニアでしたので、それを眺めていました。あと、両親が結婚祝いにもらったコーカサス絨毯の上でクロールを覚えましたね。コーカサス絨毯というのはまさに幾何学的なんですよ。

〇貴方は直感的なチェスをすると言っていましたね。どういう意味ですか?

私には叔父がいて、彼は当時の多くのポーランド人同様、慢性的な失業状態でした。家族に養ってもらっていたのです。私の家庭教師でもありました。今で言うホームスクールと言うべきでしょうか。非常に教養ある人でいい人でしたけど、準備不足の感はありました。しかし、彼はチェスのルールを教えてくれて、私と対局してくれました。教科書に沿ってという訳ではなく、非常に我流のやり方でした。彼は昔のチャンピオンの有名な対局について説明してくれませんでしたが、その代わり、いつもこう訊いてきました。「最善の手はどれだと思う?」 1870年の決勝で誰それが誰それを破ったみたいな、有名な対局の本を読み始めた時、ポーランドを離れて、チェスを捨てたのは僕にとっては幸運でした。それ以来一度もやっていません。




(インタビュー②)
http://ameblo.jp/bandazakura/entry-12215984030.html

(ウィキ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD