BANデス。
ここ最近の僕は何かにずっと追われている状態で、ソファーにぐったりなっても落ち着かない。
「これは終わった?」
「まだあれが残ってるよ」
常に何かに囚われているかの如く、耳元で誰かが呟きます。
でもね、こういう時期って凄く大切で。
何故かって、人は本当の幸せの一時よりも一番苦労した一時の方が一番強くなれるし、
僕のように恋愛ソングではない曲を書いてる作家からすれば、ちょうどいいのです。
幸せなとき。
僕にも確かにあります。
ステージの上とか、先輩たちや友達とわいわいやってるとき。
だけど、音楽を除いた瞬間にほぼ全てが失われる。
そう、僕が音楽でやっていきたいと心に決めた高校3年生からは、音楽だけを見てきました。
1度は辞めようとした。
でもバンドや音楽が嫌いで辞めようとしたのじゃないんです。
正直、音楽をするためにしていた仕事の方が花が咲いていた状態でした。
社長にも気に入られて、僕を息子のように可愛がってくれました。
本当なら僕はこの人の役に立ちたいと思ってた。
それでも、僕の周りを見渡せば何かが違った。
BANは音楽を続けるべき人だと。
何かを気付けば背負ってた。
僕一人なんかで和歌山を変えようなんて馬鹿なことは言わない。
だけど、僕が和歌山を出るときには皆口を揃えて言った。
皆が期待しているよ。と
色んな業界の方たちのバックアップがあった。
インディーズ、全国リリース、タイアップ
沢山喜んでもらえるような報告が出来た。
間違いなくやれる。
誰もがそう思ってたかもしれないけど、僕は潰れてしまいそうなくらいに辛かった。
もう何度も書いたけど
出ない声、心の距離が広がるメンバー、身内の事故
僕が上京する前に沢山の出来事が僕を悩ませた。
正直上京を果たした時点で、僕の手元に残っていたのはプライドだけでした。
ここからも沢山の方に助けられた。
音楽でプロを目指していますなんて人はこっちには一杯いる。
和歌山だと凄いねって話だけどさ
まずは食いつながなきゃいけなくて、沢山面接に行った。
こっちには2、3人しか知り合いがいなくて、紹介でも中々上手くいかなかった。
親が心配して沢山お金を渡してくれた。
これがなかったらまた僕の人生が大きく変わっていたかもしれないんです。
あまり詳しくは書けないけど、僕を助けてくれたのは某スタジオ。
そこから沢山の出会いが始まり、今では沢山可愛がってもらってます。
色んな仕事が出来るようになりました。
毎日が大変だけど、生きることへの不安はありません。
そんな中で追われている自分。
贅沢なんです。
もっと楽したいのが人間です。
寝てるだけでお金が入るならそれがベストですよ。
だけど、この日本という場所を離れれば、当たり前かのように家のない人がいて、
お金に関係なく頑張っているボランティアの人がいます。
僕は最初海外のボランティア活動に参加したかったんです。
だけど、なぜ辞めたかって、可哀想だなって気持ちで行くものじゃないなと。
その国の歴史を理解した上で、
生きる苦労を知った上で行かなきゃ意味がないなって。
誰かの役に立ちたい。
それは別に資本家の下でも問題ないのかもしれないよ。
でも僕には違う。
僕自身を動かすにはそういう事じゃないって気付いてます。
音楽で僕が変われたように、
僕自身でその人を変えられる存在になりたい。
有名人になれば影響力があるかもしれないけど、
歴史に残る人なんて、皆闇を抱えて自分自身と戦ってきた人。
社会と戦って来た人
全部が全部反対だなんて思想はないけど、
変えて行かなくちゃいけないこと、まだまだあります。
音楽へ載せる歌詞が一番強烈に伝えられるコンテンツであって、
今書いてるブログなんかよりも遥かに壮大。
僕は恋愛ソングで納得したくない。
需要というものに左右されたくない。
歌詞って偉大なんです。
固より詩というものが政治家でいうところ演説のようなものでしょう。
僕たちは1ヶ月に何度もステージに上がり、照明を浴びて、人の目の前に立ち、
僕の考えを聞いてもらっています。
今までを考えると沢山聴いてもらいました。
これが僕の想うボランティア活動にどうリンクするかなんてまだわからないけど、
結果としては国境を超えた家族と過ごしたい。
僕の限られた命を沢山の人の為に共有したい。
そんな感じ。
頑固です。僕は。
結構考えを改めずにここまで成長してしまいましたが、
僕自身これで死ねるなら感無量です。
そう考えるとやっぱり一日が24時間だなんて、、
短過ぎる。
ここ最近の僕は何かにずっと追われている状態で、ソファーにぐったりなっても落ち着かない。
「これは終わった?」
「まだあれが残ってるよ」
常に何かに囚われているかの如く、耳元で誰かが呟きます。
でもね、こういう時期って凄く大切で。
何故かって、人は本当の幸せの一時よりも一番苦労した一時の方が一番強くなれるし、
僕のように恋愛ソングではない曲を書いてる作家からすれば、ちょうどいいのです。
幸せなとき。
僕にも確かにあります。
ステージの上とか、先輩たちや友達とわいわいやってるとき。
だけど、音楽を除いた瞬間にほぼ全てが失われる。
そう、僕が音楽でやっていきたいと心に決めた高校3年生からは、音楽だけを見てきました。
1度は辞めようとした。
でもバンドや音楽が嫌いで辞めようとしたのじゃないんです。
正直、音楽をするためにしていた仕事の方が花が咲いていた状態でした。
社長にも気に入られて、僕を息子のように可愛がってくれました。
本当なら僕はこの人の役に立ちたいと思ってた。
それでも、僕の周りを見渡せば何かが違った。
BANは音楽を続けるべき人だと。
何かを気付けば背負ってた。
僕一人なんかで和歌山を変えようなんて馬鹿なことは言わない。
だけど、僕が和歌山を出るときには皆口を揃えて言った。
皆が期待しているよ。と
色んな業界の方たちのバックアップがあった。
インディーズ、全国リリース、タイアップ
沢山喜んでもらえるような報告が出来た。
間違いなくやれる。
誰もがそう思ってたかもしれないけど、僕は潰れてしまいそうなくらいに辛かった。
もう何度も書いたけど
出ない声、心の距離が広がるメンバー、身内の事故
僕が上京する前に沢山の出来事が僕を悩ませた。
正直上京を果たした時点で、僕の手元に残っていたのはプライドだけでした。
ここからも沢山の方に助けられた。
音楽でプロを目指していますなんて人はこっちには一杯いる。
和歌山だと凄いねって話だけどさ
まずは食いつながなきゃいけなくて、沢山面接に行った。
こっちには2、3人しか知り合いがいなくて、紹介でも中々上手くいかなかった。
親が心配して沢山お金を渡してくれた。
これがなかったらまた僕の人生が大きく変わっていたかもしれないんです。
あまり詳しくは書けないけど、僕を助けてくれたのは某スタジオ。
そこから沢山の出会いが始まり、今では沢山可愛がってもらってます。
色んな仕事が出来るようになりました。
毎日が大変だけど、生きることへの不安はありません。
そんな中で追われている自分。
贅沢なんです。
もっと楽したいのが人間です。
寝てるだけでお金が入るならそれがベストですよ。
だけど、この日本という場所を離れれば、当たり前かのように家のない人がいて、
お金に関係なく頑張っているボランティアの人がいます。
僕は最初海外のボランティア活動に参加したかったんです。
だけど、なぜ辞めたかって、可哀想だなって気持ちで行くものじゃないなと。
その国の歴史を理解した上で、
生きる苦労を知った上で行かなきゃ意味がないなって。
誰かの役に立ちたい。
それは別に資本家の下でも問題ないのかもしれないよ。
でも僕には違う。
僕自身を動かすにはそういう事じゃないって気付いてます。
音楽で僕が変われたように、
僕自身でその人を変えられる存在になりたい。
有名人になれば影響力があるかもしれないけど、
歴史に残る人なんて、皆闇を抱えて自分自身と戦ってきた人。
社会と戦って来た人
全部が全部反対だなんて思想はないけど、
変えて行かなくちゃいけないこと、まだまだあります。
音楽へ載せる歌詞が一番強烈に伝えられるコンテンツであって、
今書いてるブログなんかよりも遥かに壮大。
僕は恋愛ソングで納得したくない。
需要というものに左右されたくない。
歌詞って偉大なんです。
固より詩というものが政治家でいうところ演説のようなものでしょう。
僕たちは1ヶ月に何度もステージに上がり、照明を浴びて、人の目の前に立ち、
僕の考えを聞いてもらっています。
今までを考えると沢山聴いてもらいました。
これが僕の想うボランティア活動にどうリンクするかなんてまだわからないけど、
結果としては国境を超えた家族と過ごしたい。
僕の限られた命を沢山の人の為に共有したい。
そんな感じ。
頑固です。僕は。
結構考えを改めずにここまで成長してしまいましたが、
僕自身これで死ねるなら感無量です。
そう考えるとやっぱり一日が24時間だなんて、、
短過ぎる。