CDをリリースして沢山の感想を目の当たりにしました。

4年ブランクにも関わらず、沢山の人たちの手元に僕たちFated Lyenoの作品が届いた事に感謝してます。


リリース前まで沢山綴りました。

この作品に向けた想いを。


僕たちは前進しました。
いや、僕は進むことにしました。


解散したんでしょ?
そんな言葉が未だ見受けられるけど、誰も公に解散なんて口にしてない。

それはオリジナルメンバーが抜けてしまったときも。


バンドは一人で舵を握るものじゃない。


だからメンバーを手放す事は何よりも痛い
終わった。そう思われても仕方ないこと。

でも誰だって生きる事を望むのと同じで、僕もこのFated Lyenoという生き物を失う事は出来なかった。


けど何度か事務所に伝えた。

解散させたいと。

どんなに頑張っても結果がついて来ない
そんな嫌みな鏡があるなら取っ払って欲しかった。


だけど地元を含め誰も受け入れなかった。

それは可能性があったからなんだろう。


そのときの僕はこの生き物というよりは、自分のことだけを考えていた。


正直長続きしたバンドを組んだことがなかった僕からすれば、微々たるものでも結果を早々に出したこの生き物は特別だったのか。


いや、そうじゃないんです。


別にアマチュアのままでも、メジャーに行ってたとしても
結局僕は同じように傷を背負って今も歩いているんだと思う。


それはこの生き物自体、未完成だったから。


そう少なからず僕はget overで何も手応えを感じなかった。

周りの評価を真に受け止める事が出来なかった。


元のメンバーはわかりません。

でも僕自身は戸惑いのほうが大きかった。


だって、スキルや完成度なんて、昔のバンドの方が数倍高かった。

音楽性は違うにしても、どうしてもこの出来た話に乗り切れなかった。

近寄る大人の目が怖かった。

きっとただの好奇心でしかなかったのでしょう。


勝手に歩く曲を追いかけるように僕は作曲をした。


でもわからくなった。


この賛否が。


手探りで、メンバーと喧嘩しながらでも出来上がった曲
ライブでやってもよくわからないとだけブッキングの人に言い放たれたときも、
気にするな。あいつはあいつ、この何億といる人間の中のひとり

そうやって舐めた餓鬼が一石を投げることになったあの作品からの4年。

振り返り何が出来ただろうか


そう悩んでも結局何をしたかはわからない。


ただただ、この2ndという作品が僕を代弁している。



このフェイテッドはメンバーと喧嘩みたいな形で解散ばかりしてきた僕からすれば、なんともシコりの残るバンドでした。



コンポーザーが曲に命を与えて、バンドが精を生む

そのバンドとしての表現が変わっただけで、その根本はこれから先も変えられない。

自分が望んでいなくても。


以前に組んでいたバンドはフェイテッドとは全く違う。

変わるように努力したから


その理由は僕のやりたいことが変わったから。


ましてや喧嘩別れしたメンバーを見返したかったから


今ではもうそのシコりは消えて、彼らは僕を認めてくれた。
でも満足出来なかった。


なぜだろう


何か闇の中にただ立たされているだけのヒーローの人形かのように、僕の周りは見えない。

今僕は自分の足で立っているのかすらわからない。


一人歩きをする偽造正義を名乗るCDが、手に取る人たちに語りかける。僕を代弁し。


その想いを何百人だろうと何千人だろうと何万人だろうと、一人の人間へ伝える事に意味がある


大きなステージって憧れる

何万人といる前って震えるよきっと


そのフロアにいる人間が凍り付くような曲が作りたい

楽しむというより、怒ればいい 泣けばいい 

表現する場ならそれでいい


周りに流されず、ただ自分と向き合う為のきっかけとなる曲を僕は作りたい


その曲を否定されても構わない



だけど僕の生き方にまで口を出さないで欲しい




僕が明日死のうが生きようが

それが僕の望んだ未来なんだから



いつまで続くんだろうか

このツールと化した音楽は

手段と化した音楽




本来の形に戻らないの?


少なからず僕は今のありふれた音楽じゃ幸せになれない