書くべき、状況でもなくなりました。

 書くことは愛しき人が行ってくれるでしょう。


 幸せな時間をありがとう。

 パリで、子供たちと、一緒に、しばらくの安楽。


 みなさまのご健勝を祈りつつ、戻れる日に望みを抱き。

 使命を果たして参ります。



狂言綺語航海-賀正


昨年はBlogを十四行詩からこちらにお引っ越しをしてきたり、様々な出会いやお別れもありました。


今年こそはじっくりと腰を据えて、きちんとしたテーマを据えて小説の一つぐらいでも書きたいと思っています。


読んで頂ける幸せを創作の喜びに変えて、人の中にある真実を書き表したいと思います。


本年も、どうかよろしくお願い申し上げます。


平成二十三年 元旦

                                                    昊天

第一章 プレサージュ
 
 自動検索されキャッシュの中にあるデータと改変された部分をコンピューターが拾い上げる。ディスプレイに赤いライン点滅で示されたポジションをクリックさせて表示させ、男はその二つを比較して、その意図や意味を考える。
 この仕事に就いてから、データの中に表示される差に意図を見つけたことは一度もなかった。意図かも知れないと思ったこともあるが、翌日、確認すると既に改変されて属性は消されていて、何もなかったように戻っていることも多かった。
 もうすでに二年同じ事を行っていた。ディスプレイの向こうには広い窓の向こうには雄大な山脈が広がっていた。ポトウィックは単純作業の繰り返しを緩和するために広がる山肌が真っ白に飾られた景色に視線を向ける。
 情報は可及的増大していく。同じ建物には同じ作業をするものが他にもいることは知ってたが、シフトを細かくスライドされて出会うことがないように調整されていた。
 充実感も使命感も失っていた。
 衣食住は保障されていたが、実感できない作業を長く続ける者は少なかった。
 契約当初、この場所に六十名配属されて、三交代で働いていたが、昨日一人が契約終了となって、この事務所エリアには二名しか残っていなかった。
 ポトウィックはこの仕事の目的は、悪意の調査かと最近思い始めていた。
「今日の労働は、後二時間か」ポトウィックに向かって隣で同じ作業しているフェライルは手を止めずに話しかける。
「さあ、今日も残業を命じられるのではないか」丸い顔の輪郭が特徴的なポトウィックはディスプレイに光る文字を見続けながらフェライルへと言葉を返す。
「まだ、水曜日だというのに、既に十六時間も残業をしているのだが」ずり落ちたはやりの眼鏡をかけ直してフェライルはG-236地区で会話された言葉が改変された意義を探索していく。
 電話やメールやつぶやきなどの全てが対象だった。
「他の班は正直どうなのだろうか?」と言った瞬間にポトウィックは改変された部分がアラートするのをみつける。今度は意図を発見してやるとマウスを手慣れた様子でクリックして、三台並んだ液晶ディスプレイにその内容を映す。
 振り戻ってその言葉を探そうとするが、アクセスされた痕跡は正常なものであり、改変ではなく単なる消去だと気が付かされる。コンピューターの推察は単に誤字を消しただけだと示している。
「くそう」ポトウィックはキーボードから指を外して細かく激しく叩きつける。
「またかよ」
「苛つくよな」ポトウィックは同僚に同意を求める。
「毎回ながら、バカにされている気がするように感じさせるな」
「無残な毎日だとは思わないか、フェライル」
「仕事だろう、ポトウィック」
「くそったれ」と、答えてポトウィックは先ほどのD-497地区のアラート箇所に再び改変アラートが出ているのに気が付きマウスを動かしてクリックする。
 
 なぁ、君、靴に穴が開いてるけど、そんな様子じゃまともな仕事についていないんじゃないかと、声をかけてきた男にポトウィックは顔を上げる。
 秋葉原の歩行者天国に残った水たまりに写る青空が美しかったのに邪魔しやがってと目をつり上げてポトウィックが男を見ると、隣にはサングラスで顔を隠した女がいた。
 こいつの女かと思って見やっていると男はポトウィックの視線から女を隠すように前に立ちはだかる。
 男はポトウィックを値踏みするように上から下へと見やる。
「どうですか?」男の影に隠れた女が男へと聞いている。
「いいだろう」男は女へ言葉を返す。
「お仕事の紹介をしています」女は手に持ったチラシを見せる。
「突然、なんだよ」ポトウィックは苛立ちをむき出しにする。
「悪いお話ではありません」女は有無を言わさぬような強い口調で胸の高さにチラシを差し出してくる。
 人間が防衛的に反応して必ず受け取ろうしてしまう高さに意図的にチラシは突き出されていた。
「何かを説明するのにサングラス掛けたままかよ」ポトウィックは女へと警戒心をわずかに顕して言い述べる。
「君にはまだ見せるわけにはいかない」男は低い声でポトウィックに厳しい目を向ける。
「日当、二万円のお仕事です。ICT関連のお仕事です。パソコンは使えますか?」女は男が言った言葉に続けて聞いてくる。
「パソコンは使える」WindowsやMacとか言うのだろう。義務教育の中にもあることをこの女は知らないのだろうか。
「でしたら、おすすめの仕事です。簡単な作業を行って貰うだけなのです」
「入力作業とかか?」
 ポトウィックは、どうせまともな仕事ではないだろうと思いながら失業保険が来月切れる事も脳裏にあった。何も突然にここで、仕事の話を聞かなくても良いが、少し話を聞いてみようかと逡巡する。
 サングラスで隠されて分からなかったが、女はきれいな顔立ちのようだった。サングラスを外した顔を見てみたいとも、ポトウィックには思うところもあった。
「入力作業の経験がおありなる?」男はメモ帳に何かを綴りながらポトウィックに質問をする。
「短期の派遣で」二週間だけ通信会社の古い紙に記された個人情報をデータ化する仕事だったと思い起こす。
「もう少し高度で、判断力もいるのです。あなたなら、きっとそんなお仕事もこなせると、お声掛けさせて頂きました」
「俺がか?」ポトウィックは少々驚いたように答える。
「寮も完備しています。希望者は月一万五千円で入寮することが出来ます」女は言葉を続ける。
 男と女の格好を見る。高そうな服を着ているようだった。
「我々は人材を見つける会社の者だ」男はチラシに書いてある会社のマークとスーツのバッチを指し示す。「君は運がいいと思う」
「運がいい?」それではまるで何かの販売のようではないかとポトウィックは柔和に微笑みを向ける男を見る。
「就労日を月二十日として支給額は月額四十万円だ。悪い条件ではないと思うし、後一名で定員に達するところだ」
「たいていは、すぐに定員へ達してしまうのです」
「はぁ」
「これは、粗品なのです」女はボールペンが入っていると思われる人材会社のロゴが浮かぶ小袋を渡してくる。
「どうも」ポトウィックはきれいな指をしていると思いながら女から小袋を貰う。
「説明会場でお使いください」
「説明会場?」
「すぐ、近くに設けています。マンツーマンで説明していますのでプライバシーも安心なのです」
「悪い話ではないと思うが、仕事の内容だけでも聞いてみないか?」男はセールスマンの様に笑顔を浮かべている。
「聞くだけなら」しばらく躊躇してからポトウィックは聞いてみても損にはならないだろうと思う。
 どうせ時間は余っている。今日も、何を買うわけでもなく時間つぶしに来ていただけだ。
「じゃぁ、こちらへ」女が手を差し出す数歩行くと、黒いスーツに身を包んだ女性スタッフが雑踏の中から現れ出る。
「ご案内します」女性スタッフは女に変わってポトウィックにとりすました笑顔を浮かべてみせ、軽く腕に触れて説明会場へと連れて行く。
 ポトウィックの姿が見えなくなってから男と女は、再び秋葉原の街頭で声をかけるべき相手を探し始める。
「ノルマまでは、二十名は送り込まないと達成できないと思うのです」
「昼で締めた全体報告では目標の半数に留まっているからな」
「説明しても契約しない人間が一割はいると思いますしね」女は男へ視線をくべてから、リュックを背負い壽屋の紙袋を持った男が歩道を歩いてくるのを見つける。
「次は、あれでどうですか?」女はあごでしゃくってみせる。
「大丈夫だろう」
 女はついと頷いてリュックを背負った二十歳ぐらいの男へ車道から近づく。
「すみません。そのフィギュアまだ売ってましたか?」と、女は声をかける。
 
 フェライルは新宿の街を俯いて静かに歩いていた。派遣されていた会社への就労は今日が最後の日だったが、次の仕事は何も決まっていなかった。ハローワークは中高年が多くて行きたくなかったし、複数の派遣会社に登録をしていたが仕事の紹介は何もなかった。
 また、収入が無くなる。
 親に文句は言われるだろう。だけども、仕事がないのは私のせいではない。景気のせいだと、クリスマス間近で彩り鮮やかにイルミネーションが輝いている町並みを見渡す。
 家に帰ってもやることはない。それならば母親の機嫌を少しでも取っておこうとクリスピー・クリーム・ドーナツで売っている千円セットでも買って帰ろうと思い立つ。
 看板には一時間待ちと表示されている。暇つぶしにはなるだろう。
 だいたい今の仕事はみなとみらいまで行かなくてはならず時間がかかりすいていた。逆方向だから通勤は楽だったが、片道二時間近くの時間を使っていくのは高時給だったからだ。
 だが、派遣の仕事は必ず契約が終了する。今回も前回と同様に次の仕事先を同じ派遣会社で見つけられる事はなかった。
「少し、お時間、よろしいでしょうか?」フェライルの前に行く手を遮るように女が立つ。
 フェライルは注意深く女を見るが、体に合わせて作られたようなビジネススーツを着ていた。こんな服はどこのデパートで売っているのだろうかと思う。
「なんですか?」昔から呼び止められると、結構ですと断ることが苦手だった。少しだけなら話を聞いてあげてもいいのじゃないかという気持ちが起きてくる。最後は断ればいい。宗教の勧誘にもそうやって断ってきた。
「あの、お仕事の紹介をしています。すごく高い時給です」女はチラシを差し出してくる。
 いくら明日からの仕事がないと言っても風俗で働くつもりは無かった。女の出したチラシをフェライルは見もせずに断ろうとする。
「勘違いしないでください。ちゃんとしたICT関連のお仕事なのです」女はにこやかにチラシを見せてくる。
「はぁ」フェライルは、この女は心が読めるのかといぶかしがりながら女を見る。
「私どもは人材会社の者です」フェライルに背広のバッチとチラシのマークを女は見せてくる。
 前回の派遣会社と同じマークだとフェライルは気が付く。
「はい、でも、どうしてこんなところで」だったら、まともな話かと思うが、それにしてもこんな時間にこんなところでと思い聞いてみる。
「今日はクリスマス・イブです。あたしも予定があるのですが、後一人でノルマを達成しますので、何とか説明を聞いてもらえませんか。ボスなんですが、達成しないと解放してくれないのです」女は小さな声で少し離れて立つ体格の立派な男を見やって言う。
 あれが上司なのかとフェライルは視線をさっと走らす。
「説明を聞くだけでいいの?」ついフェライルは同い年ぐらいの女が、必死な様子で言ってくるので、助けてあげようかという気持ちになる。
「ええ、もちろんなのです」小声で女は言ってチラシをフェライルへと渡す。
 フェライルは白黒だけで色が無くローコストで印刷されたチラシを見詰める。
 しかし、チラシを読んで日当二万円などと記載された内容にフェライルは驚いていた。
 
 ネットカフェに行きインターネットでいろいろと調べたが、会社は問題がないようだった。説明してくれた女性スタッフからは、電話一本貰えれば契約手続きを開始すると説明を受けた。
 失業が続けばこのワンルームマンションからも出なくてはならない。来月の家賃は蓄えから払えもしたが、再来月の家賃は払える見込みはなかった。
 ポトウィックは、秋葉原から帰ってきてベッドに寝転がり天井を見上げながら、もう一度、鞄から今日貰ってきた説明資料を出してめくってみる。
 離婚して生活保護を貰って暮らしている母親のところには戻るわけにはいかなかったし、違う女と暮らしている父親のところには絶対に行くつもりはなかった。
 富山県のICTセンターで、データチェックを三交代で行う仕事と説明を受けた。
 仕事の内容はさほど難しくないようでもあり、導入教育も用意されていて、今までとは違う直接雇用になる可能性もあると言われた。
 直接雇用と派遣契約の違いの説明も聞いたが良く理解できないでいた。まだ先のことだしと思ってその説明ページはやり過ごして勤務形態のところを読む。日勤・夜勤・深夜勤と休憩時間や就業時間が書かれている。
 自動車部品工場で三交代の仕事は行った経験があるので、つらさは分かっていたが、立ち作業で無いからまだ楽だろう。それに、シフトは週固定だとある。それなら疲れも回復させ安いだろう。
 説明では寮は同じ敷地内にあり、休日は自由に過ごせるとあった。寮と言ってもワンルームマンションと、資料には載っている。一人一部屋だ。
 週休二日だそうだ。これは嬉しかった。
 ポトウィックは機材を売り払ったパソコンデスクを見やる。ネットゲームでまた遊びたいと思いがつのる。
 それにやはり給料だった。残業もあると言われていて、それも含めると、五十万円ぐらい貰っている人もいると聞かされた。
 それだけあれば母親に十万円ぐらいは仕送りをしてあげられる。
 パソコンも買い戻せるし、車だって買えるだろう。しかも、寮の駐車場は月二千円だと説明書にあり、インターネットは無料だ。
 確かにあの男が言うように、運がいいのかも知れなかった。
「都落ちか。金になれば、それでもいいか。東京にいなくても、ネットで何でも買えるしな」
 ポトウィックは明日の朝に電話をしようと、大きな文字で資料に記されている連絡先の電話番号を携帯に登録しておくことにする。
 
 集合は一月十四日(月)バスの時間は九時と新たに宅配便で送られてきた就労準備用資料集には書かれていた。大晦日から年末年始は帰って、母親には新しい仕事で富山に行くことは伝えていて、うまくすれば仕送りも出来るかも知れないと話をしていた。
「仕送りだなんて、気を遣わなくて、いいわよ」ポトウィックの母はNHKの紅白歌合戦を見ながら、ホットプレートのお好み焼きをひっくり返して息子へ微笑む。
「やばいからさ、失業保険も終わるし、俺、運が良かったと思うんだ。まだ、仕事をしてないから、詳しくは分からないけどさ、ほら、これがその会社だ」ポトウィックは母親に資料を広げてみせる。
「立山連峰を後ろにしてるんだね。きれいなところだね」ポトウィックの母は鏝を置いて息子が渡す資料を受け取ってページをめくっていく。
 立派な資料だと思った。こういう資料を作れるのは相当大きな企業なのだろうとも思いやる。もし息子のような年齢なら可能性はあるのだろうが、五十半ばで雇ってくれるのはスーパーのバックヤードぐらいしか無い。時給は安く仕事も毎日あるわけはなかったが、職場へ行って仲間と話するのが楽しみだった。
 生活保護を受けていたので、収入のある息子とは同居は出来なかったが、富山に一人で住むのならその心配もないし、仕送りは息子の将来のために貯金をしておこうと考える。
「見送りに行こうか」唐突にポトウィックの母は息子へと告げる。
「なんだか、恥ずかしいな」
「だって、東京から離れるのは初めてじゃないか」ポトウィックの母は言い述べる。
 その母にポトウィックは手を握って新宿の改札口から歩いてきたトンネルの出口で別れの言葉を告げる。
「富山へは飛行機が一番速いらしいけど、高速バスが一番安いとスーパーの人が教えてくれたよ」
「落ち着いたら一度、遊びに来てくれたらいい」ポトウィックはワンルームマンションは個別になっていて、家族なら泊めても良いと、念のために連絡先に電話をして確認をしていた。
 ボストンバッグなどを持った人が新宿都庁へと同じように向かっているのにポトウィックは気が付く。ひょっとしたら自分と同じように富山のICTセンターへ働きに行く者なのだろうかと見やる。
 仕事の内容からだろうか、同じような年代の者が多いようだった。
「では、母さん、見送りありがとう」
「がんばって」
 年老いた母に言ってからポトウィックは偉容な高層ビルが並ぶ景色を見上げて、ああいうビルにはどういう人たちが働いているのだろうかと想像する。きっと、一流の大学を出て、ゼミの推薦状を貰った勝ち組なんだろうと見上げる。
 してみたかったが、努力する経済的機会が無かった。
 高層ビルの脇に何台ものバスが並んでいた。まずは受付に氏名を記入されたカードを出して何号車に乗るのかを指示して貰うようにと資料には書かれていた。
 ポトウィックは始めて訪れた高層ビル街をきょろきょろと見渡しながら周囲を探し、歩道に”ICTセンター受付はこの先、100M”と書かれた札を掲げたスタッフが立っているのを見付ける。
 ぞろぞろと人が集まっている様子が見えてくる。
「富山のICTセンターへ行かれる方は、この先に受付がありますから並んでください」と言って、男性スタッフが使い捨てカイロを配って列へとポトウィックを案内する。
 しばらく列に並んで秋葉原の小部屋で説明をしてくれた女性スタッフが受付で、氏名を記入したカードと用紙を交換しているのが見えてきて、視線があって会釈すると、相手も覚えていてくれたようで、さわやかに会釈を返してくれる。
 女性に会釈を返されるのは、どれくらいぶりだろうかとも思いながら、ポトウィックは、説明書にある通り富山の寒さはここの比ではないのだろうなと、不安にも感じながら少しずつ進んでいく列に、他の者と同じように無言で並んでいた。
 何台ものバスが車内を暖めるためエンジンをかける音が高層ビル街には響き渡り始めていた。