今日は私の昔の話。
子育てって少なからず、自分の生い立ちが影響すると思います。
私は、『自分はこうだったから、
子どもにはこんな思いをさせたくない』
という思いが強いです。
私の姉も、同じことを言います。
姉の3人の子どもは、全員社会人になりました。
贔屓目に見ても、甥っ子3人は優秀で、
立派に就職していきました。
姉の子育て法を聞くと、
「私が、親にしてもらいたかったことをする & してほしくなかったことをしない」
という、シンプルかつ怖いこと言ってました
めっちゃ闇深い
姉も兄も私も、
一人立ちするまでは、ツラいことの方が多い日々を送っていたと思います。
食べるものも着るものもあったけど、
狭い家で7人家族。
1人部屋はないし、
祖母と母は仲悪いし、
養子婿の父の存在感はなく(笑)
怖い母が家のすべてを握ってたような。
気の休まらない生活だったなぁ、と思います。
姉は過呼吸で学校で倒れてたし、
兄は不登校でした。
私は、親に心配かけないように、
いつも冗談言って、家族を笑わせて、
ただでさえ、暗~く重~い家庭の空気を
少しでも明るくしようと努めてました。
(我ながら健気)
だから、私は学校が大好きでした❤️
1人部屋はなかったので、いつも塾で勉強していました。(父が塾で働いてたから、塾へは行かせてもらってた。多分タダ。)
(父は私が高2の時にリストラされましたでもその後、仕事を選ばず、懸命に働いてくれた父にはすごく感謝しています)
「貧富の差を埋められるのは、学力だけだ」
という、何かのドラマで観た言葉に感銘を受け、勉強だけはちゃんとしました。
それでも、母に
「あんたたちは、幸せやわ。
勉強してるのが一番楽。」
なんてこと言われたり。
「女が勉強できたら、結婚できない」
と言われて、高校はトップ校は避けたり。
大学も、行きたかった東京の大学...
親には言えませんでした。
センター試験が終わって、これなら行ける!と思い、願書提出〆切の最後の最後で、
勇気を出して、
「実は行きたいんだ」
と、父に相談。
父には「がんばってほしい。お父さんは応援するよ」と言ってもらえた。
でも、家計をやりくりしていた母には、
「家賃含め10万円だけなら仕送りできる」
と言われました。
東京で10万...?
それがどの程度なのか、
生活可能なのかどうか、
18歳の私には分からず...
諦めました。
選択肢はありません。
地元の国立大学1本。
もちろん家から通いました。
さらに、奨学金も借りました。
母から、「もしも何かあった時のために、借りてほしい」と言われて。
学校に1人だけ選ばれる返済不要の奨学金。
これは最終で落ちました
先生には
「お父さんの年収がある程度あると審査が厳しいから」
と言われましたが、
私よりも優秀な子が選ばれたんでしょうね。
まぁ、私は地元の国立。
奨学金なんて、必要ないです。本来なら。
そこで、無利息返済ありの奨学金を借りました。
その書類には、
連帯保証人を書かなければならないのです。
我が家のエンゲル係数が高いと、いつも言ってきた叔父さん
歯医者さんである、この叔父さんの家へ、
母と一緒にお願いに行きました。
綺麗で、広~い家
吹き抜けがあって明るくて
ワンちゃんがいて
そんなお宅で、連帯保証人のサインをもらいました。
その時、私は、
人生で後にも先にもない、
最初で最後の
屈辱を味わいました。
叔父さん叔母さんは、めちゃくちゃ優しかったし、誰が悪いわけでもありません。
でも、
私は、何も悪いことしてないのに、
連帯保証人のサインをもらいに来てる。
親に迷惑をかけないよう、一生懸命勉強してきても、こんな思いをさせられるなんて
と、思いました。
この時のことを思うと、今も
胸がキューーーーンと苦しくなります。
この時に思いました。
奨学金=借金
だと。
そして、それは、私の名前の借金です。
18歳にして借金...
ものすごい屈辱でした
私の借りた借金(奨学金)は180万。
(父母よ、これくらい貯めておいてよーーーと、今は思う)
大学卒業後、毎月返していましたが、
結婚するとき、一括返済しました。
借金持って結婚なんて、絶対ヤダ!
私は、決めてることがあります。
子どもたちに、
奨学金は絶対借りない。
だから、教育資金は十分すぎるほど用意しておきたい。際限なく。
子どもがどんな道に進みたい、どんな大学に行きたいと行っても、
お金の話をせず、
「応援するよ!」と言いたい。
私立の医学部へ、と言い出したらどうしよう~とは思っていますが、それでも「いいよ」と言えるだけ貯めたい
子ども3人いるので、
現実は厳しいとは思いますが
以上です。
こうして改めて書くと、私、なんか怖いなぁ