「そそられ易い男性は純情ゆえに可愛いもの」と男性医師が言いました。

これは押しつけ、可愛さの押しつけにあたり、ストーカーも同様に「可愛さのつもり」ではないのかなぁ。この現状からストーキングを否定する機運は高まるのでしょうか?

社会では猫も杓子も「可愛いは正義」を信念にさてないかい。感情の押しつけを理不尽とは考えないかなぁ、考えないから同調圧力になるのかなぁ。

 

 

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愛情と愛欲の区別がつかず性交渉を持った後に

「恋心じゃなかった」と告げる人が存在します。

云われた側にすれば裏切りを感じ傷心する話を、よく聞きませんか?

区別ができない人は、性的な魅力を感じているやら、人格的な魅力を感じているやら、自分の気持ちと向きあわないからこうなります。

自問自答などメソッドになさそうな。向き合わずに感情が極まり、脊髄反射を起こす状態。

これは「繊細な人」ですか?「杜撰な人」ですか?

 

まず、これも内観ができる人ならば、「愛情」と「愛欲」の区別がつきます。区別ついたからと言ってそれを正直に告げるかは、また別の問題。このように経過は複数のルートがあるので、論点をずらしていくことが可能になります。

 

しかしながら内観のできない当事者であっても、会話から「愛情」と「愛欲」のどちらかを推測することなら他人でもできます。どちらであろうが、責任を感じる当事者ならばそれなりの対応にも尽力しますから、双方のどちらの望む結果に至るかは神のみぞ知ることに。

 

他にも

非難や否定をされたときに「も」の接続語を用いて反駁する人は、反省する意識が低い。何も考えないといおうか他者を貶める意欲が高く、脊髄反射して他人を巻き添えにする依存体質。鏡の法則ところではありません。