斎藤環教授が提唱なさった「マイルドヤンキー」とは、こういうことでしょ。

 

アニメやコミックも人気の『薬屋のひとりごと』

ー天人の下で働く、働くうちに天人から見初められた平民少女を描く、スーパーダーリン物語ー

原作ライトノベル11巻の中で、楊医官が話しています。

「人は生まれたままだと、欲に従って生きる生き物だ。そこに教育が加わって理性ってもんを得ることができる。それでも欲に勝てない人間もいる。天祐は好奇心って欲に勝てない人間だ。獣に飽きたら人間に手を出すって、劉医官は判断した」

 

猟師の親元で育つ幼い天祐が動物を解体するところを偶然見つけて、才能の片鱗があることと併せ、「このままではいつか人間も解体するようになる」こう思い親に教育を勧めたけれど拒絶を受け帰る途中で、幼い天祐が追いかけてきて医学教育へ志願した過去話。

 

物語をご存知の方なら天祐のキャラがわかり、倫理観の欠落問題を克服していない現状と合います。知りたい欲求の赴くままに主人公の猫猫に誘いかけては、猫猫本人や周りから疑惑の目を向けられています。空気読まないけれど危険察知力の高いキャラは、医療分野の教育しか覚えてなさそうよ(笑)クールではない、冷めていながらガツガツした人に見えます。

謝るときもどことなくヘラヘラしてたり、心を伴う行動は「好奇心」を感じるものだけではないかしらん。現実にもかような人はおりませんか?管理職だったりしたら、部下は非常にやりにくい。

 

楊医官が話す通り、

教育を受け理性が身についたら、理性により自分の感情を抑えられますから、協調性を学ぶスタートラインに立ちます。これは受験勉強とは別系統の学習につき、机に向かっても教わることはできません。

だから「知りたいことだけ喋れ」って相手と会話するメリットがこちら側になく、情報の強奪に遭います。医療分野にもかような人は存在します。尋問になってることに、ましてや「わかりやすく」を望む自分がパニック体質なことも知らなさそうよ。「時間がない」は言い訳とも思ってなさそうで、タイムパフォーマンスをあげることは社会人業務(特に正規職)の一環であり、尋問しなくていい状態を作れば自分磨きになります。

それが自己実現の基盤、ゼネラリストがしていること。

 

でも実際の世の中では

「訊いたことに答えろ」こういうワークマンによく出会いませんか?それが搾取社会です。

AI含めた機械は感情を持っておらず、ペット含めた動物は感情だけを持っており、したらば人間とはいかなる存在ですか?

 

空気読めない人は、「心の機微」を学んでないやもしれず。それで自分の感情で満たして相手の機微を感じ取れない、と。もちろん内観には至りませんし、「鈍感力」へ行き着く過程になりませんか。

豆知識ながら、

「鈍感力」を提唱した人は、失楽園の作者でもある作家の渡辺淳一氏です。作品に傾向が現れてないかなぁ。最後も「医師」で話がまとまりました(笑)