毒親って、情緒不安定な大人のことでしょうか。
こちらの中程から下に書いた実体験、
私が介護事務所で事務員をしていた時にも、
利用者からよくクレームがよく入り、本来の事務仕事を妨げられました。
そのスタッフたちは、施設を利用する高齢者は全員が認知症の前提で、
同じ対応をします。
介護でもカルテに相当する調査票があり、
そこには個人の症状や既往歴も記入してあります。
だから、調査票を見れば利用目的がわかるシステムですが、
診断や症状に適応した対応をせず、
「高齢者=認知症」、みんな脳の障害で一元管理を行います。
身体障害により介護を受けるケースは、頭に入らない模様。
福祉を学ぶ学校ではどのような授業を行うやら私は知りませんが、
障害に応じた対応を学習する機会はないのでしょうか。
そうしてクレームが入ったことをスタッフへ通知する際に
調査票を確認して対応したか否かを訊ねたら、
「忙しいのに、いちいち確認する暇はない」
という回答。
ここから、「安い給料でこき使われている」って就労不満へ発展します。
事務員は決して電話番や労働組合ではないのだが(笑)、利用者とスタッフの双方が対応の不満を述べます。
同僚や利用者への礼儀はどうなる。
こうして当初の議題、利用者からのクレームがスタッフのクレームへすり代わり、果てはスタッフの仕事を受け入れない利用者の感謝不足へ話を斜め上に向けます。
いつ、スタッフが過ちを認め、改善の意志が芽生えるでしょうか???
このスタッフは中高年ではない20代~アラサーであり、BBAとは違います。
日本の福祉や教育はどうなっていきますか?
このようなスタッフが拡大生産の傾向にあるようで、
リンク先の元記事を読めば、学習環境から「これが正解」の兆しがみえます。
これは、送り付け詐欺同等の発想になりまして、自分を貫くというより、自分が突き抜けて逝っちゃた状態ではないかい。
そうして、自分を受け入れない相手の責任を問い、自分に不足している部分には指摘があっても着目しないようで、収入を確保しています。
こういうスタッフの傾向として、介護では車の運転を伴う業務が多いので事故を起こしやすかったり、事業所の経費を増やすので移籍が多くなったりします。仕事って、誰のための労働やら検討に値しませんか。
立命館大学総合心理学部の宮口幸治教授は
先頃NHKドラマにもなった本書の中に、
「反省以前の子供たちがいる」として社会学的な問題を提起されています。これは「教育」でどうにかなるものですか?
この社会に平和な未来はあるのだろうか?