あざとくて何がいけないやらわからない人は、

日本むかし話の「さるかに合戦」を読んだことがないのでしょう。

ピュアハートのかにが過労とパワハラで亡くなるなど、弊害はすべて描いてあり、読解できないのかもしれず。

 

 

こちらに掲載されたひとつめの画像について、ブログ主は

「「土」はタテ棒が下からはみ出ているから!」

「「名」は「口」の右下の部分がはみ出しているから!」

「「子」は、形がおかしいから!」

以上の理由で不正解だそうです

 

このように感じておられます。

では、不正解とした担任は、正しい漢字の形について理由を説明できるかしら。マニュアルと同じ形でないから不正解ならば、どうしてマニュアルがその形にしてあるのか、理解しているかしら。

 

説明できない指導者は頼りないと思いませんか?理解していなければ、説明がつけられません。

 

私は書道の師範が文字の形に理由を説明できる人だったので、

習っている私も説明できます。

実際、我が子には説明しましたし、その我が子が書く文字は子供の裁量に任せています。子供は説明通りに書くか否か、悩んだ時期もありました(笑)

 

子供に理由を説明しなければ教育にはあたらず、

真似ることを教えるのであれば、調教ともいえます。

また6歳7歳くらいの子供はまだ発達段階の途中であって、手足や指先など自分の思い通りに微妙なコントロールが利きません。そこが大人との違いであり、未熟の由来でもあります。子供の特性を重々理解しておれば、文字の形をほぼ正確に覚えているだけでも、子供が努力していることは容易に想像つきませんか。

 

こうした子供の努力を認められない大人って、心が貧しくないかい。

そうして大人の武器をみせつけクライミングするメンタリティの脆弱さ。

子供好きを標榜する理由はいろいろあって、

幼い子供だからコントロールが容易で利用価値が高いとする大人と、

子供について愛情と理解の深い大人と、

子供のためになるのはどのような大人であるべきか。

 

リンク先にある担任たちはコンプレックスを持つのではなく、

ブログ主が書かれているように「歪んだ価値観」から起こしている状態を自覚してないのでは?

 

私も学生時代には、このような先生方の対応に覚えがあるし、

シンエイ・ノウゼンではないけれど魂の慟哭が聞こえて気持ち悪い思いをしています。

現在や過去に不登校を経験した学生の中に、こういう人はいないかい?

 

病院スタッフにも同様の傾向は高く、

いつぞやは嘲弄を感じたのですぐさまその場を立ち去り、

のちほど医師へ相談したら、医師が頭を抱えて言いました。

「スタッフは話の本質が理解できないから対応の仕方がわからず、惰性的な対応で笑ったんだと思う。スタッフにはぼくの方から話すので、ちょっと時間ちょうだい」

 

この惰性的な対応とは、「笑ってあげたら患者は安心感を得て喜ぶ」という優位性を備えた画一的なもの。内容ごとに笑うべきか否かを判断してないらしく、思考停止しています。

そうして「わからない時の対応」について学ばないのやら、頭の抽斗からマニュアルを引っ張りだし思い込みでクライミングを取り、コミュニケーション不良を起こします。知ったかぶりの不気味さ。

 

その後、当該スタッフを代表して謝罪があり、詳細は書けませんが

「天使さんがこうしたからスタッフはこのような対応になったので、悪気はなかったからわかってあげて。天使さんがこうしてくれてたら、スタッフもわかったんやけど」

これは言い訳と責任転嫁になっており、謝罪ではありません。前の二つ目の「わからない時の対応」については言及しておらず、スタッフにはまったく改善の兆しがありません。なぜ体調不良の患者からスタッフに「あげる」話をするのやら???スタッフは貰い得にならないかい。

これでどうやって患者の人格を肯定するのやら、報告を聞いた医師は再び顔を歪めて困っていました。困らせているのは患者ではないし、理解の足りない人は患者かい?患者はいつ神経を休めますか。

学校や病院は誰のために存在する施設だろうか。一般企業でこの対応が社会人として通用しますか?少なくとも、私が勤めた銀行では通用しません。

 

タイトルへ書いたように

日本はアメリカと同じく、ヤンキーが支配する国である模様。

抗争が好きな民族かもしれず。それで未だに国連の敵国条項が削除されないかしらん。

 

ざっくばらんなシャイなど、一貫性のない自己像を話す人はそれなりにいます。自分が見えてないのやら、オイシイ言葉を切り貼りして自分を飾っているのやら、

乖離の自覚はあるのかしら???