民間企業
●アウディ 自動運転技術レベル3達成(2017世界初) 動画アクティブAIサスペンション
●オランダのベンチャー企業 空飛車を自動車ショーで公開(2018/3)
販売価格は約4000万円から 2019に納車の予定
★トヨタは2020年の実用化が目標 その他のスカイカー(2018記事)
※経産省は「空飛ぶ車」の実用化に向けた検討を開始した(官民連携) 18/3.19各紙
●総合電機シーメンス社と欧州航空のエアバス社 電気飛行機の開発で技術提携(16/4)
シーメンスはプロトタイプ電気飛行機で時速340kmを達成したと発表(17/4) ※動画
●特殊化学品のランクセス 「全米プラスティック協会のオートモーティブ・アワード」
プラスティック製ブレーキぺタルが「ボディー内装部門」で最優秀賞を獲得(2016)
スチール製と比べ重さは半分 多軸配向の連続繊維構造で曲げ強度とねじれ強度が向上
●18/7 ceramicspeed シャフトドライブの自転車を開発 伝達効率99% 動画
政治
●2005~左翼の長期政権「メルケル首相」 キリスト教社会同盟の党首(右翼)
1970年代のメルケルは東独自由ドイツ青年団(極左)に所属していた
※北朝鮮民主主義人民共和国>労働党員や平壌の上流階級のみが主人権(人民)を得ている
国名の民主主義は偽装ではない 下層の民間人は人として扱われない奴隷だからです![ぶーぶー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/007.gif)
![ぶーぶー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/007.gif)
民主主義(民権主義)と「左右の左翼(古の支配体制)」
★「左翼」=公金依存 特権支配(民間搾取) 全体主義 権威主義 侵略と殺人...
★「右翼」=帝国主義 民族主義 王権支配 全体主義 権威主義...
※ドイツの「新右翼{帝国の市民}」の特徴 2018/個人記事
※右翼の「日本狼の会」 米軍基地は出ていってほしいなど反米左翼と同調 ※記事削除
「米国に占領されてるのに何も言えないような国になり下がっている」などの妄想を扇動
●2010~「ドイツ連邦軍の左傾化」 ヨルク軍団行進曲とたいまつ行進
左右の左翼を象徴する「プロイセン帝国主義とナチスの融合」に我が同胞は歓喜した
★旧東ドイツ軍のガチョウ足行進はナチス・プロイセン陸軍・ロシア・北朝鮮・キューバなどの社会主義圏で採用されている
足が短い北朝鮮軍は上半身のブレも大きくなります
※極左ナチスのヨルク軍団行進曲とガチョウ足行進...動画
※ナチス右派 反共のディールス(1933-1934ゲシュタポ長官)
過激な共産主義者の摘発に力を注ぐが極左のヒムラーやヒトラーに監視される立場となる
後にプロイセン州とベルリンの警察権をヒムラーらが奪い取り「ゲシュタポの取締は赤狩りから民権狩り」へと移行した 初期ナチスは国民の支持を得るために反共を唱えていたが憲法破棄などで政権基盤は安定する ゲッベルスらによる国民洗脳の効果も現れたので「右派を追放しても極左政権が維持」できる状況となり左翼のユダヤ狩りが本格化した
1940ディールスはユダヤ迫害の命令を拒むようになり「極左ゲシュタポ」に投獄される
極左ソ連と通じていたゲシュタポ幹部らは秘密裏にシェタージへ移行したとする説がある
![ぶーぶー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/007.gif)
1935年に「ナチス鉤十字の鷹」が国章となる
★右派追放の策略国民を欺く撹乱工作
ヒトラーは1919ミュンヘン共産主義政府に協力的で極左に呼応した連帯の議員となる
ヒトラー(隠れ極左)は国民の支持を得るために「極右を装い」反共を印象付けた
1920年代「暴力的(極右)に共産主義者を排除するレーム突撃隊」を黙認
1921/8 ナチスは整理隊を体育およびスポーツ隊
に改称 →改組して突撃隊となる
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
1922/3 突撃隊に青少年部を創設 (後の極左洗脳集団ヒトラー・ユーゲントを意図) ※1932/5 ユーゲント独立
ヒトラーは極左の意図をレームに見抜かれないよう細心の注意を払った
1923 右翼の突撃隊指揮官クリンチュを解任 穏健右派のゲーリングが司令官となる
ベルリン進軍は中央政府の圧力で阻止された 一部の突撃隊はミュンヘン一揆に参加
1924 突撃隊の再編でレームと対立 ヒトラーは突撃隊の緩やかな左傾化を図っていく
1926突撃隊の最高指導者ザロモンが就任 (極左ヒムラーはザロモンの秘書であった ゲッベルスとも親交)
1930突撃隊は「ゼネラル・エレクトリック会長のヤング案」を阻止する闘争を仕掛ける
賠償金を一銭も払いたくないヒトラーは自由民権派の温情を屈辱的なものと捉えていた
1931 レームが突撃隊に復帰 世界恐慌で生じた失業者や反資本主義者らも突撃隊に参加
1933 突撃隊は50万人以上に膨らみ隊員の福祉も充実させた たいまつを持った突撃隊はベルリン市内を華々しく行進しプロイセン州の帝国主義者はお祭り騒ぎとなった
1933/4 突撃隊は極左ユリウスの指揮でユダヤ商店ボイコット運動を全国に展開する
(ユリウスはフランケンに社会主義党を創設 1924年にはドイツ共産党との同盟を画策)
教師のユリウスは病気と偽り休暇を得た 官公労働者を優遇する共産党にも共感を示す
突撃隊は左右の左翼に支持を得る形となる だが確固たる政権基盤と国民洗脳の完全浸透を図る上で「隠れ極左の立場を堅持したいヒトラーとヒムラー」は突撃隊の急進的な暴力活動は国民(民権派)の反発を招くと危惧していた レームが反共であることを国民の大半は予想できないだろうと読んだ極左ナチスは共産主義の根絶を企てる恐れがあるレーム派の暴走を阻止することになる(1934/7 レームを銃殺)
レーム粛清を裏から誘導したのは極左ソ連の共産スパイと通じていたハイドリヒである
突撃隊は反共を排除した合法的な組織となり極左ドイツ国防軍に吸収されることになる
ヒトラーは元帥級の帝国主義貴族に敬意を示し優遇した そして彼らを利用して1939「ポーランド民権派の殲滅」をソ連の極左と手を組み実行することになる
1941/1民主化の芽を潰すユダヤ狩りはソ連中央の方針なので国境沿いに位置する東ポーランド強制収容所のノウハウ提供(秘密裏の虐殺)をハイドリヒに密約する
1941/9「パンツィンガー」がゲシュタポ部の第一課長に就任 担当は共産主義の排除(重要なポスト)だがwikiでは特に実績は示されてない 1943/9にはユダヤ銃殺部隊の司令官となり実績を残した 1944/8彼は戦後にソ連の捕虜となるが奇跡的に生き延びた 上司のハインリヒ・ミュラーと共に少し怪しげな人物である
1942/1 モスクワ敗退が決定的となる直後にハイドリヒは欧州のユダヤ絶滅を正式決定
アウシュビッツの処理能力強化や情報遮断など人材面での大型投資もナチ幹部は承認した
極左ナチスの民権狩りは独ソ戦の後にエスカレート 戦時の混乱を利用すれば民間虐殺は目立たない 大量虐殺をドイツ国民や西側に知られないように遂行するためには「緻密な計画」と極左ソ連の協力が必要 スターリンの側近と密通していたヒムラーらは対ソ連の部隊と物資を民間殲滅の活動に振り向けるように実行した これら秘密裏の活動は1944年あたりからドイツ国内の民権派に知れ渡るようになるが手遅れとなった
1943/前半ヒトラーは独ソ戦劣勢の報告を受け民間殲滅の総仕上げを占領区に指示
ヒトラーはドイツ軍の壊滅的状況を理解していたが「極左ソ連との秘密連携」が悟られないように薬物中毒者を演じていた またヒムラーらとは距離を置き文書の交換も控えた
1943/7.05クルクス戦車戦(司令官は帝国貴族ギュンター) 7.10英米軍のシチリア上陸
ナチス右派内には共産主義者を黙認し民権狩りを最優先するヒトラーに対し不満が高まる
1943ポーランド領内のユダヤ&民権狩りは本格化
1944/7 右派の将校が「極左のヒムラーとヒトラー」の同時暗殺を企てるがヒムラーは不在であったため計画を中止する 1944/8血の粛清>暗殺首謀者らは自決を迫られた これに応じない者は人民裁判にかけられ見せしめ処刑となる また極左ソ連を模倣した過酷な拷問で「半殺し状態のまま放置するという処刑」も行われた ある者はピアノ線で吊るされながら「ゆっくりと締め上げるという絞首刑」に処せられた 最終的には7000人が逮捕され200人以上が殺された
これらの粛清を主動したのは1917年にボリシェヴィキ人民委員を務めていた「ローラント・フライスラー(ナチス人民法廷長官)」である ※共産主義過激派
右翼と共謀したナチス極左は民権主義のワイマール憲法を破棄 密かに共謀していたソ連極左とは共に民権狩りを遂行 民主化の芽を徹底的に潰すことによる共産圏の確立である
※スターリン 「一つの死は悲劇だが 100万の死は統計に過ぎない」
※「フライスラー」1923ミュンヘン一揆(ヒトラー)の裁判を傍聴 ヒトラーの刑は軽く刑務所でも優遇されたのはミュンヘンの司法当局に共産スパイが潜伏していたからである 「ヒトラーは利用できる」と読んだフライスラーもナチ党の左傾化を促すことになる 1924彼らスパイはナチスの偽装政党「大ドイツ民族共同体」に参加した (右翼を装う撹乱工作)
極左ソ連の同胞は「国民不満の矛先」が共産主義者に向かわないよう巧みに誘導したのである
★1945/1 ヒトラー「少年にも徹底抗戦を指示」 戦闘を放棄した者は反逆者として処刑
ヒトラーは降伏を引き伸ばす長期戦でドイツ人(民権派)の殲滅を誘導
赤軍にも民間人虐殺の時間的余裕を与えてソ連の戦後統治が円滑に進むよう配慮した
ナチスと極左ソ連の共謀関係がドイツ国民に広く知れ渡る前に民権派を殲滅したのである
※ドイツ西側を統治した英米軍は極左の洗脳を解く宣伝ビラを撒き「物資の支援」も行う
★1945 ベルリン侵攻までの極左ソ連軍による民間虐殺は約60万人(ドイツ東側)
1945/8ソ連軍が満州を侵略 1000人以上の子供を戦車で轢き殺した
一例の事件
![ぶーぶー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/007.gif)
※民権主義のポーランド(1791~1939)を破壊した左右の左翼 >クリスチャンの歌
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