忍城をご存じですか?

和田竜さんによる『のぼうの城』の舞台となった城です。

秀吉公の小田原攻めの際、最後まで落ちなかった支城として有名です。

 

私も『のぼうの城』を読んで成田長親や甲斐姫ファンになり、大好きな城の一つとなりました。忍城に行ったのは、もうずいぶん前ですが、思い出して書いてみます。

 

 

武州忍城

 

武州忍城は現在の埼玉県行田市にありました。

行田には駅が二つありますが、JR行田駅からならバス、秩父線行田市駅からは徒歩で行けます。JR行田駅にはレンタサイクルもあります。

忍城といえば、石田三成の水攻めが有名ですが、水攻めの拠点ともなった丸墓山や、現在も史跡として残っている石田堤まで見たい場合は、自転車があった方が断然回りやすいですのでご検討ください。

 

さて、忍城址です。

忍城は広大な湖の中に浮かぶ島に郭が配置され、それぞれを橋でつないだ構造だったそうです。水の中に浮かんでいるように見えたので、『浮き城』と呼ばれました。

今は本丸跡に、御三階櫓が復元されていますが、残念ながら忍城の全貌は保存されていません。

しかし、忍城今昔地図を見ると、行田市役所から忍城へと続く125号線は当時の忍城の堀でしたし、行田市役所から水城公園へと続く道は、忍城を囲む沼地の境界線とのことです。また水城公園には、大きな沼が現在もあり、近所のおじさんが釣りをしていますが、ここも、当時から巨大な沼の一部だったことがわかります。

 

行田市歴史研究会2012 のHPで今昔地図を見ることができます。

http://gyouda2012.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-834a.html

 

平城でありながら、大きな沼地に囲まれた城の防御力は高く、上杉謙信も落城させられなかったそうです。

 

そして、とうとう秀吉公の小田原攻めの最中に、光成やみんな大好き大谷さん(吉継)らが忍城に攻めかかります。

光成は丸墓山を拠点に北の利根川と南の荒川をつなぐ長い堤防をつくり、上流で川を決壊させ、忍城を水攻めにしたそうです。


まず丸墓山に行ってみましょう。丸墓山古墳にも石田堤の遺構を確認できます。というか、石田堤より、丸墓山そのものに非常な価値があるのですが、それはいったん置いておきます。


丸墓山から水路沿いにサイクリングロードが北鴻巣駅の方まで伸びています。時間に余裕があれば、自転車で南下してみましょう。

しばらく行くと、新幹線と交わる地点があり、交わる手前で西側に行くと、石田堤の遺構が確認できるポイントがもう一ヶ所あります。これにはかなり感動します。歴史の舞台となった場所に立つと、心の底から湧き上がるものがあります。

(もう仕事をやめて、日本中をめぐりたい。50歳になったら本気でやめようと思っています。)


石田堤 (人が写ってたので消しました。)

 

 

行田は東京だけでなく、横浜方面からのアクセスも良好で、日帰りで楽しめる歴史スポットとしては、秀逸だと思います。

なお、行田に行かれたら、十万石まんじゅうをぜひご賞味下さい。おいしいです。

また、魚豊さんのうな重も絶品です。ぜひどうぞ。