今度は海城です。東京の私立中学ではなく、ウミジロです。

*中学受験等についてネタが尽きましたので、しばらくこんな話になります。一応、城だから、社会ですね!ギリ教育ってことで、ご容赦下さい。



能島城

こちらも大分前ですが、『村上海賊の娘』で有名になりました。

能島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。

能島村上家の拠点の海城でした。

海賊といっても、パイレーツオブカリビアン的なものではなく、水先案内人として主な収入を得ていたとのことです。



車がない場合、能島城に行くのは大変です。愛媛県今治からしまなみ海道で大島に渡ります。

大島の村上海賊ミュージアムにいき、そこから船です。

能島へ渡るには、予めこの船のツアーに申し込む必要があります。


まずはミュージアムで村上海賊について学びましょう。ミュージアムの向かいから船がでますが、レストランが併設されており、美味しい瀬戸内の食事を頂くことができますので、ここで腹ごなしも済ませます。


ライフジャケットを着け、いざ出航です。

能島周辺の海底は、岩礁が多く、知り尽くした者でないと操舵は困難でした。

また、瀬戸内の名のとおり、速い潮の流れが刻々と変化し、危険な海域です。


船は気持ち良く進みます。

まず船からは、鯛崎島が見え、その奥に能島が見えます。鯛崎島は能島城の一部と考えられているそうです。

さあ、いざ上陸です。


【手前が鯛崎島、奥に能島】


南側平坦地から上陸し、三の丸に上がります。結構急です。
三の丸の北端からは、北側の島や海峡が180°以上見渡せます。
伯方大島大橋が見えました。

次に二の丸に上がります。能島城の二の丸は、本丸をぐるっと囲むように存在します。所々幅が狭いです。
二の丸の北東側に、谷で隔てられた出丸があり、矢櫃と呼ばれています。ここは行けませんでした。

二の丸からさらに、一段上がると、本丸です。面積的にはかなり狭いです。
その他、船を繋いでいた岩礁ポットなども見ることができました。

海城は陸の城と違い、水を得るのに苦労したそうです。対岸の大島には、『水場』と呼ばれるところがあり、そこで水を得て、能島に運んでいたそうです。


能島には以前桜が植えられていたようですが、島の風化への悪影響のため、2022年訪問時は正に伐採された直後でした。この後更に整備工事が施されるとのこと。

大変貴重な史跡でした。
訪問させていただきありがとうございました。