”ギフテッド Gifted ”という言葉が一般的に認識されるようになったのは、ここ5年くらいかと思います。

一方で、Giftedのイメージは□歳でヴァイオリン世界一とか、〇才で大学進学とか、いわゆる”天才”ばかりが先行してしまっているように思います。

 

 

  知的Giftedについて

 

Giftedは音楽、絵画などの芸術領域から、知的領域のものまでさまざまですが、ここでは知的Giftedについて考えてみます。

そもそも、なぜGiftedということを、別個に考える必要があったのかというと、当初それは支援が必要な子供たちを抽出するためだったからと言えます。天才のための称号ではないのです。

 

私がGifted childについて知ったのは2019年~2020年でした。

まず、子供が1年生の後半~2年生にかけて、登校を嫌がるようになりました。理由を聞いても、「無駄だから」としか言わず、なかなか根本的な原因を突き止めることができませんでした。

以前からこだわりがかなり強いように感じていましたが、広範性発達障害の特徴には当てはまらず。でも何かしらの適応障害を起こしているのかもしれない、と感じ、発達について相談しました。

面談の後、WISC-Ⅳが行われ、知的Giftedであり、学校では退屈し、またその力を発揮し認められる機会がないことが、原因になっている可能性を指摘されました。

 

この様に、Giftedは何らかの困りごとを契機に見つかることが多いようです。

 

GiftedやGifted教育について知りたい方は、コネチカット大学教育心理学 修士課程を修了された知久麻衣さんが、ギフティッド教育について、正しい情報を日々発信されています。

興味のある方は、ぜひ知久さんを検索いただければと思います。

 

  日本における動き

文部科学省では、『特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する 学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議』を複数回にわたって行い、私も視聴しました。

論点は以下に整理されています。

https://www.mext.go.jp/content/202112017-mxt_kyoiku02-000019034-001.pdf

 

公教育においてGiftedのみを抽出するのではなく、すべての子供たちに最適な学びを提供できるようになれば、それは素晴らしいことです。

ただ、この様な会議が日本でもやっと開催され、今後の希望が若干見えてはいても、現状の学校現場を見ると、とてもその体力はないだろうと思うわけです。

本気でやるには、教員の量も質も上げなければならない。日本にその余裕が果たしてあるのでしょうか。

 

 

  学校外での活躍の場をつくる

”学校外での学びの場の提供”については、上記有識者会議の資料にも、アンケートの結果として出てきていました。

博物館や、研究室、算数オリンピックなど加え、”民間の学習の場”すなわち塾が出てきました。

 

我が家でも、発達外来への相談後から、学習塾を考え始めました。

もともと中学受験はさせる予定でしたが、低学年からは必要ないと考えていたので方針転換になりました。

 

週1回のみの塾でしたが、その効果は抜群でした。

我が子の塾では、低学年では自分のペースで算数の課題を解き進めます。

早くてもストップをかけられないどころか、先生から「おーすごい!」といってもらえたこと、これがよかった。

また、周りにも同じような子供が多く、自分だけが浮いている感じがなかったのではないでしょうか。

塾に通うようになってからは、学校への行き渋りもほぼなくなったのでした。

 

 

 

子供にとって、『認めてもらえること』は『同じような仲間の存在』は予想以上に大きい。

入り口はGifted教育でしたが、結局はそこに収束するのだな、と我が子を通じて感じました。