家具は長々と伸びて、憔悴し、悩ましげな形をしている。夢見る風情をしており、植物や鉱物と同じように夢遊病的な生命を授かっているかのようだ。
ボードレール「二重の部屋」より
(『パリの憂鬱』渡辺邦彦訳 みすず書房 p.13)
ボードレール『パリの憂鬱』
に収められている
「二重の部屋」からの引用。
家具が、
まるで植物や鉱物のように、
生き物的に感じられるという
夢のような部屋に
ボードレールはいた。
しかし、このあと
突如ノックの音が響き、
「幽霊」が現れる。
「時間」が、
彼を現実世界へ引きずりこむ。
おお!そうだ!「時間」がふたたび現れたのだ。今や「時間」は支配者として君臨する。(同書、p.16)
ボードレールは、
締め切りに追われていたのだろうか…
ボードレールは
植物と鉱物を並べ
どちらも、
「生命」あるものの仲間としている。
この感覚は、
幻想にとどまらず、
歴史的な背景を持つ考え方と
共鳴している。
かつて、
鉱物にも生命が宿ると
考えられた時代があった。
澁澤龍彦『石の夢』によると、
17世紀の博物学者キルヒャーは、
植物も鉱物も同じ土地から生じるため、
その本質は互いに混じり合っていると
考えたという。
人はむかしから、
鉱物に夢を見ずには
いられなかった。
私も夢見る精神で、
無機物がただのモノとして
ある部屋ではなく、
鉱物のように息づく部屋にいたい。
ボードレール「世に知られずして」より