【鉱物言葉集】

三島由紀夫『春の雪 豊饒の海(一)』

より石に関する言葉






「そんなことを仰言ってはいけません」と聡子は強く、怒ったように遮った。

「罪は清様と私と二人だけのものですわ」


それはいかにも、本多を庇って言われた言葉のようでありながら、余人を寄せつけない冷たい(ほこ)りが(ひらめ)き、聡子がその罪を、清顕と二人だけの住む小さな水晶の離宮のように思い()しているのがわかった。


それは掌に載るほど小さな水晶の離宮で、誰もそこへ入ろうにも小さすぎて入れない。かれらの変身によって、つかのまそこに住むことができるほかには。


そしてかれらがそこに住んでいる姿は、微細に、明晰(めいせき)に、外側からありありと見てとれるのだ。





三島由紀夫

『春の雪 豊饒の海(一)』

新潮文庫 p.302






華族の少年・松枝清顕と、

幼なじみの綾倉聡子。

ふたりは許されない逢瀬を

重ねていた。




清顕の友人・本多は

ふたりが人目を避けて会う

ために手を貸す。



本多は聡子に言う。

「僕は罪に加担してしまったのです」と。



しかし聡子は

「罪は清様と私と二人だけのものですわ」

と言って、一線を引くのだった。




外界から切り離された、

結晶の中に棲む清顕と聡子。

ふたりはその透明な罪のなかに

溺れていた。





カンチェンジュンガ産水晶
手のひらに収まるサイズ






『豊饒の海』は、

1. 『春の雪』(明治)

2. 『奔馬』(昭和初期)

3. 『暁の寺』(戦後・タイ)

4. 『天人五衰』(昭和40年代)


の順に展開する。

(『春の雪』が1番読みやすかった。)




時代を超えて、

魂の転生と運命の糸を描く、

壮大な物語である。




三島由紀夫は

最終巻『天人五衰』を書き上げた

1970年11月25日に、

自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した。




彼にとってこの作品は、

魂の輪廻と虚無を描いた最後の

哲学的到達点であり、

その完結とともに

自身の人生も閉じようと考えたのでは…

という見方もあるという。




三島は作品の中でしばしば、

「死」や「切腹」「武士道」について

言及している。




何もしないでいる、ただ手をこまぬいている、という自分の姿を考えるだけで、勲は獄病にかかった自分を見るようにぞっとした。(略)その中で自分一人純粋であろうとするには、罪の別な形式を借りなければならず、いずれにしても本源的な罪から養分をとらねばならぬ。そのときはじめて、罪と死、切腹と光栄が、松風のさやぐ断崖、のぼる朝日のなかで結合するのだった。(『奔馬』p.223)





「行動が思想に伴わなければならない」と考えていた彼にとって、最も純粋な

「思想の実現」が、切腹だったという見方もある。



純粋であるということについて。

また

三島由紀夫の最期について

『豊饒の海』を読んで深く

考えさせられた。






1番上の写真