突然の長女の幼稚園行き渋り、
二度目の骨折疑惑で通院(というより待ち時間)、
家族みんなで嘔吐リレーからの母点滴。
よし!次なるステージへ!
と前回のブログからのずっこけぶりに
今この時に何を感じ何に気持ちをのせていくかを考える2月の終わりとなりました.
途中車もぶつけたことも思い出しては、それを機に気持ちを入れ替えたことや乱れた心にピリオドを打ったことなんかも思い出してきました.
私の心のわだかまりが解けたのと共に娘の激しい行き渋りも落ち着きをみせはじめましたのでは?と奇しくも思えてしまう一面は
改めて私自身が滞りなく気高く生きることへの責任さえ感じました.
一方娘とて一端のこころとからだをもった「人」であることを思っては、我々同様、見えない自然の摂理の波に揺らいでいただけのことなのかもと思ったら
母にさらりと言わた「2月なんてそんなものよ、」という言葉がハッと蘇っては
きっと何度とお母さんが通ってきた道を今私ははじめて歩んでいるだな、と
遅まきながら胸に響く想いともっと早く真摯に聞き入ればよかったと少し反省しています.
新学期に向けて新たな小さくも心を揺るがす悩みも私に出てきたり、
他人様からみたら大したことないことて、自分にとっては切っても切れない一人目だからこその悩みがついて回ります.
その度に嗚呼なんて自分は未熟で粗悪なんだ、、といちいち肩を押す自分がいるのですが(笑)
その度に愛を持って鼻で笑いながら淡々と話を聞いてくれる友人がいたり、真摯にアドバイスを寄せてくれる仲間や家族の存在に助けられています.
逆にそんな時ほど有難いながらにお腹をいっぱいにしてしまう様々な肩書きや知識をフル活用して救い上げようとしてくれる存在は
今何かを貰うことに救われるというよりも、私から出るものを静かに受け止めてくれることに救われる時期に自分がいることを感じます.
自分も含めですが、人を助けたいという気持ちを持ったときこそ相手と自分が違う人間であることを潔く分け隔て、
相手にとって何が一番の求めるものであるかを見抜く力にそのエネルギーを変えることが必要なことを
今まさにその関係を試されているかのような存在である娘と私の関係に覚えます.
二人目とて育児に生き急がないこともその中の大事な教えの一つです.
とにかく今は2月に起きた色んなことを思い返しながら
漠然と今自分が向き合っていることに対して 「違った角度で見てみては?」ということばを投げやって
新たな見方に心を乗せきった時にいよいよ次なるステージに登れるのかな?なんてことを思ったりしています.
こういう揺らぎの中にいるときは全てが不確定で不安もいっぱい.
なんなら結局あなたはどこに向かいたいの?と、振り出しに戻った感覚や行き場のない迷子な感じも否めなかったりもします.
でも心のどこかで大丈夫、と踏んでいるのは
今こそ思考的になりがちな姿を脱ぎ捨て感覚だけを頼りに生きるタイミングをもらっていると思えるから.
2024は破壊と再生の年.
ようやく新年の抱負が降ってきました.
皆さま引き続きどうぞよろしくお願いいたします🌸