****************
自宅の二階で母が突然亡くなったのは、2010年のことでした。脳梗塞でした。妻が異変に気づいて僕を呼んだときにはもう亡くなっていた。すがりついたとき、口をついて出たのが詫びの言葉でした。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね.......。 どこからこんなに涙が出てくるのか自分でもわからないほどに、声をあげて泣きました。
****************
私の母が亡くなったときも、
まったく同じでした。
自宅の二階ではなく一階でしたが。
「え、見てたの?」と言いたいくらい、同じです。
草刈さんや私のような子どもは、
少なくないのではないでしょうか。
著書ではこう続きます。
****************
本当はあのとき謝りたかったのかもしれません。二十歳前後の頃のことです。
****************
このようなエピソードが語られるとき、
たいていは、
「だからこそ、生きているうちに思いを伝えましょう。後悔しないように」
という教訓の話になるけれど、
親子には、
本当に本当にいろいろなことがあって、
そして私たちは、
親も子も、みんな本当に未熟だから、
わかっていても、
それができないまま、
時間切れになってしまうんですね。
以前、アニメ「鬼滅の刃」で、
親を殺して鬼と化した累(るい)が、
いまわの際で、
「自分は本当は親に謝りたかったのだ」と気付き、
「ごめんなさい」と泣きながら
死んでいく(成仏していく)シーンに、
嗚咽したことを書きました↓
草刈正雄も、
私も、
鬼の累も、
あれだけ泣けて泣けて仕方がない、
ということは、
それだけ自分を責めている、
ということです。
そんな自分を、
もう責めないであげたい、
そう言いながら、
やっぱりまだ責めてしまう自分さえも、
許してあげたい、
そんなことを思う大晦日です。