以下は、草刈正雄さんの著書の一節。


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自宅の二階で母が突然亡くなったのは、2010年のことでした。脳梗塞でした。妻が異変に気づいて僕を呼んだときにはもう亡くなっていた。すがりついたとき、口をついて出たのが詫びの言葉でした。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね.......。 どこからこんなに涙が出てくるのか自分でもわからないほどに、声をあげて泣きました。

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私の母が亡くなったときも、

まったく同じでした。

自宅の二階ではなく一階でしたが。

「え、見てたの?」と言いたいくらい、同じです。


草刈さんや私のような子どもは、

少なくないのではないでしょうか。


著書ではこう続きます。


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本当はあのとき謝りたかったのかもしれません。二十歳前後の頃のことです。

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このようなエピソードが語られるとき、

たいていは、


「だからこそ、生きているうちに思いを伝えましょう。後悔しないように」


という教訓の話になるけれど、


親子には、

本当に本当にいろいろなことがあって、


そして私たちは、

親も子も、みんな本当に未熟だから、


わかっていても、

それができないまま、

時間切れになってしまうんですね。


以前、アニメ「鬼滅の刃」で、

親を殺して鬼と化した累(るい)が、


いまわの際で、

「自分は本当は親に謝りたかったのだ」と気付き、


「ごめんなさい」と泣きながら

死んでいく(成仏していく)シーンに、

嗚咽したことを書きました↓


草刈正雄も、

私も、

鬼の累も、


あれだけ泣けて泣けて仕方がない、

ということは、


それだけ自分を責めている、

ということです。


そんな自分を、

もう責めないであげたい、


そう言いながら、


やっぱりまだ責めてしまう自分さえも、

許してあげたい、


そんなことを思う大晦日です。