「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な、江戸時代中期に武士・藩士であった山本常朝が口述したことを田代陣基という同じく藩士がまとめた書物である「葉隠」(はがくれ)の内容を作家の三島由紀夫が解説した『葉隠入門』という本を読んでみました。
こちらがその「葉隠入門」
三島由紀夫はこの本の中で「いつも自分の机の周辺に置きこれほど感銘を受け事あるごとに読み返した本は『葉隠』のみである」と綴っています。
「葉隠」とは三島の解説によればこの本は「武士道とは死ぬことと見つけたり」の逆説、つまり生きる活力や情熱を与えられる最大の理由を見出せるもの、としています。まあ多分だけど、猪木さんの「元気があれば何でもできる」ならぬ「死ぬ気があれば何でもできる」ということかなと思います。もちろんこれは昨今言われるいわゆる「無敵の人」(失うものがないために犯罪を犯すことを躊躇しない人)という意味ではありません。死ぬ気でいけというまさに武士道だね。
三島由紀夫の本を読んでいると彼はこの葉隠の教えに沿って生きていたように思いますね。戦争を生き延びた三島が自身の持っているおそらく最大限の言葉の力を駆使して物書きしてたんだなと読んでいる時によく思います。現代のこの平和に浸かってヌクヌクと生きてきた自分にとっては中々行動に移すのが難しい(ついダラっとしちゃう)ですが言いたいことはわかるし自分もそうありたいと思います。
しかし本の内容は難しいことが多いですがここのところは何となくわかるような気がしました。
第二次大戦で特攻により命を落とした人達が犬死をしたとはもちろん全く思いません。そして靖國神社にある遊就館内に戦争で亡くなった方々(看護婦等も含む)の写真が展示されています。その写真の数々を見ると写っている人たちは今生きている人と全然変わらなく、当然自分の知らない人達ですがそれは自分の身近に感じられるものでした。つまり死というものを身近に感じました。
三島由紀夫がYouTubeのある動画内で、「死をいつか来るんだそれも決して遠くない将来に来るんだと考えていた時の心理状態は今に比べて幸福でした。それは実に不思議ですが記憶の中で美しく見えるだけでなく人間はそういう時に妙に幸福になる」ということを言ってましたがなんとなくですが分かるような気がします。人類最大かつ永遠の謎である「死」を、遠ざけるのではなく逆に親しむことで安心やエネルギーといったものを感じる、ということかなと思います。奥が深い話なのでなかなか完全に理解するのが難しいところですがね。
別にカッコつけるわけじゃありませんが俺も三島ばりにこの「葉隠」の謎に迫りそして死の謎に少しでも迫れたらいいかなと思います。別に特別何かするわけじゃないけどね。ありがとうございます。

