4週間の意識不明から戻り、意思疎通再開の日 9年目 | sunny side blog

4週間の意識不明から戻り、意思疎通再開の日 9年目

9年前の5月10日はぼんやりした頭で、顔をしかめたり、首を振ったりするだけでなく、はじめて

ホワイトボードで筆談できるようになった日だった。

しかし、最初に書いたものは!?


人間の意志というものはなんだろう?

そう考えてしまう失笑ものの内容ではあった😅


それからずーっと進歩し続けているかといえばそんなことはない。

好不調の波はあるけれど、中でも自然が不安定なときは人間も不安定になるのか今はちょっとシンドい時期だ。


3月から4月頃の春の季節の変わり目に出口のないトンネルに入ってしまったように感じてしまったことがあったのは、コロナなんて声も聞こえなかった頃。

このブログで見返してみたら、2018年。なんと事故からまだ3年のことだった。


あのときも岩に触れることで長かったトンネルの出口に導いてもらった。


それから春の季節の切り替わりの、特に三寒四温といわれる不安定な季節に心身共に調子が悪い事を意識して、それに対応して過ごすことができるようになってた。

だが、年々春という季節は短いようなのに、不安定な期間は長く、振れ幅が大きくなっていると感じている。


自身の老化は無関係ではないだろうが、この感じは気のせいではない。


今日も気温差が20℃以上あって、楽ではなかったけれど、

新緑の森の中で岩を触る。

良い9年目のスタートの日だった。



去年はコロナ禍で行けなくなってしまい待ち焦がれていたあの岩を登ることができた後で、幸福感と喪失感を同時に感じていたが、新たなラインや新しい岩場に向けたワクワク感によって、喪失感は無くなり、幸福感も新たなワクワクに取って代わった。


登る力が戻ってきてグレードを更新できていくことは嬉しいが、それよりも、自然の中でその時の全ての能力を把握して、そのギリギリに近いところで自分をコントロールしその限界をひろげていきそれが登れた時の喜びに勝るものはない。

そして、それが無限にあることを知ったことはこれまでクライミングしてきた中で一番嬉しい。


そうして、できることは確実に広がった。街の中ではなくて、山の中でのことだけども。


あれだけの事故を起こしてしまって、家族のお陰もあってでこうして命を繋ぐことができたのに、もう行くなとは言われずに送り出してくれるのがありがたい。


だから、二度目は絶対にない。

どっからどう考えても危なくないことではないけれど、細心の注意をしてこの壁のクラックを掃除をして、登れるように準備をしてきた。




これからが楽しみで仕方ない。