sunny side blog
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メッケもんどころか

ここでの最高の経験の1つになった。

 

フィストからハンド、それからややワイドへと続くちょっと短いけどパンチがあるコーナークラックをチョックストーンまで登り、それから右のフェースに移り、最後は数メートルのクラックを辿り岩塔に出ることで、取り付きから天辺までクラックシステムを辿る良いルートになった。

全長20メートル、グレードは5.10dぐらい。

 

最初にトライした時はチョックストーン上の枯れた木の根と堆積した土と落ち葉の塊に進退窮まって下降したことは先のブログで書いた。

チョックストーンの上、堆積した葉と土の塊の先あと1,2メートルで木があった。左は落ち葉が所々に乗ったスラブ。プロテクションはない。右は苔と岩茸が見事な垂直のフェース。こちらの可能性はあるかもしれないが、見えない上部は分からないという状態で下降したのだった。

 

その分からないところが可能性はあるのではないかととても気になって頭から離れなかった。

それでしばらく仕事をしてから、時間を作ってまた来たのだった。

 

その間気温は乱高下し、低気圧が何度か通過して、ちょっと山も潤った。

ただこのまとまった雨で 土と水が流れ見事に泥のクラックになってしまった。

コーナークラックはチョックストーンまでで、その上はずっと木が生えた土の山なので、チョックストーン上の土の塊を除くことは現実的でない。

また左の木のクラックをロープソロしてフィックスロープを張り、下降時に気になっていたコーナーから右のフェースを観察した。フェースに移る前のプロテクションは足元になるナッツとスモールカムだけど、難しくはななさそうに見える。その上は細い木が生えた安定したコルになっていて途中にカムを一つセットできる。そこから岩頭の頂上へ導いてくれる数メートルのクラックがある。下は土と草が詰まっているがシンハンドぐらいのサイスから、上は開けてフィックスの支点にした木が見える。

 

上に抜けられるルートになるという可能性が見え、気持ちが最高潮になった。

それから何とか登れる状態にしようと、手ぬぐいとブラシで泥を落とし岩を拭いて、水の垂れるチョックストーン下にタオルを詰めた。

下りてすぐに、下部のクラックを泥だらけになりながら悪戦苦闘したが、ジャミングした掌に水が滴る悪条件で最初の到達点が遠かった。この日一日は晴れてかなり乾燥してくれたので、次の日に期待。

 

次の日は曇りだが、空気は乾燥している。まだ染み出して所々濡れてはいるものの、下部はかなりマシになった。

まずは、湿気ったクラックにジャミングを効かせフットホールドを探し、登って下りてカムを3つ決めた。

それだけで全力の20分強だった。

今回はソロシステムにちょっと使いにくさも感じた。岩の状態によってカムセットの姿勢が不安定なので、墜落距離を短くするため、ちょっと余長をタイトめにしていたので、垂直以上の傾斜で立体的なムーブになるとロープがすぐにロックしてしまう。これは1つ今後の課題。

前の日の疲れもあり、とにかく落ちられない恐怖感が強かったので、とても降りてすぐにトライする気力も体力もなかった。

そこでちょっと一息

思えば、クラックの状態を見て登れる登りたいという強い気持ちと、自分の考えるようにコントロールできるのかという恐怖から、常に張り詰めた状態だったので、このときようやく青葉の出はじめた森に響く鳥の声を聴き地面に寝そべってて頭の中をクリアにしてみた。

 

 

最初にトライした時はからからに乾いた最高の状態だった。

それはクラックだけではなく、取り付きの状態にも言える。乾いた葉の上はスリップして滑落する不安定さが常にあったけれど、湿り気の強い地面は気をつけても靴に土がついてしまい、エッジに対するフリクションが無くなってしまう。

乾いた葉に滑るのも怖いが、泥は厄介だ。

 

石を取りつきにおき、シューズに土をあまりつけないようにし登りはじめ、水が染みているチョックストーンに着いた。

シューズは今回から導入 したスカルパのベイパーS。こういうのもちょっとウキウキする。

足入れが良くクラックへのジャミングは期待通りだった上に、エッジへの押し付けや立ち込みにも思った以上に良かった。

 

 

この前最後に探し出した溝を再び掘り出しカーブナッツの一番が決まった。青エイリアンで固め右のフェースに乗り移った。

ナッツは決まってるけど、エイリアンは浅い溝なので墜落方向には頼りない。

 

 

ここから先は見てしまったので、未知への恐怖は亡くなっていた。

(ついでに生えている木は根が安定せず、それは引けばいつでも抜けてしまいそうなことも確認していたので間抜けな事も起こらない)

 

知っていると知らないとでは全く違う。

不可能では無いことだけが分かってしまっていたから。

それ以上の楽しみ(苦しみともいう)が無くては意味がないので、

ここからはプロテクションを決めるためクラックの土や草の根をを除きフットホールドを見つけながら登る。

頂上の先に生えた木まで三メートル余りのクラックが何ともバランスが悪く難しい。

 

何のことはない技術的な核心はこれからだった~

シンハンドからハンドサイズのクラックにベイパーSのフットジャムは抜群の安心感があったのだけど、

左足をエッジに乗せようとして、バランスがとれずコルに着地。そこから転げ落ちてもカムで止まるとはいえさすががにちょっと怖い。ハンドサイズの上の細くなったクラックの土を落とし、エイリアンの黄色をセットした。

ムーブを考え見つけたエッジに左足を何とか乗せた。

立てば終わる。

もうクラックは足元なので、右手は岩茸以外何も無いような丸みを帯びた壁にホールドを探る。

粒子は粗いので何かかかるものはないかと指に力を入れて探り続け砕ける岩茸の間に外形したホールドの感触があり、岩茸ごと保持し何とか左足に立ち込むことができた。

 

地面に置いたスマホで録った動画を30分ぐらいに短くしてユーチューブにアップしたので(それでも長いが)よかったら奮闘ぶりを眺めてください。

同じチャンネルにプリセットの動画もアップしてあります。

 

ナメていたけど、めっけもんだった!

なめていたというより、正確には、登ることは無いリストのコーナークラックだった。

ソロイストを使ったグラウンドアップロープソロで、手付かずで未知のクラックを登ることに魅了されて、これ以上はないんじゃないかなーという感覚をこの地で毎度更新して来られけれど、さすがにそれ以上のというめぼしいクラックも少なくなって来た。


これは技術的に難しそうも見えず、とても何かを得られるとは思えないものだったけど、感じは悪く無さそうなので、そのうち確認に登って見ようかと最初は考えていた。ただしクラック部分は5〜6メートルと短く、何より堆積物が凄まじい。雨が降ると、どデカい泥の海綿の塊が大量に乗っているようになっていたので、それを見てやることはないリストに入れてしまっていた。


それでは、なぜ今回トライしたかと言うと、このコーナの右に小さいけれどクラックシステムを利用できそうな大層魅力的な岩塔があって、これは離陸困難な上、取り付きも落ち葉の溜まったガレた急斜面なのでそこに居るだけで精一杯。スタートしてみても降りたらそこから斜面を滑落する可能性大と、出だしから危ない匂いが強すぎる。おまけにこれも苔と草、詰まった泥の勢力が強すぎるので、せめてプロテクションの確認とクラックの掘り起こしだけはしたいと思ったので、このコーナを登ってフィックスを張ろうと思ったのだった。


このところ全然雨が降っていないので、山は乾燥し切っていて、岩の状態は良いけど、堆積した松や灌木の固い葉が滑る。とにかく、アプローチだけでなく取り付きも不安定な塩梅だから岩に取り付く以前に滑落注意なのである。


かの偉大な先輩の名言「クラックは濡れていてもジャミングは効く」に向こうを張るわけでは無いが「急斜面の枯葉は濡れているほうが滑らずマシ」なのである。

最初にここを発見したときのことを思い起こす。発見は喜び一杯だっただけど、何よりここにいるだけで不安定で大変だから、その時は取り付きの整備が必要だと思った。時を経て今は自然のこのままがいいと思うけど。


そういうわけで、出だしが不安定で何度もクライムダウンを繰り返しカムをセットした。

傾斜を利用するセオリーとしてスラブに背を向け左手ジャムでワイド登りをしてみようとしたが、ソロイストが邪魔して離陸すら困難だった。そこで真っ向勝負。右手ジャムで左足はスラブのエッジに立つ。

そうして全力でワイド部分に達することができた。



ここまでは下から読むことができていた。簡単だと思っていたけど、なかなか手応えのあるいいクラックだった。とりあえず技術的核心は過ぎた。


そしてこれから長い戦いが続く


堆積物の1メートルほど先に細いが生きている木がある。そこまで行けば終わりだろう。

そのためにまずはプロテクションのセットだ。

落ち葉と土の塊をどかそうとするとそれは、ビッシリと張った枯れてしまった木の根だった。

岩の上の土と木の根をほじくり、何とか右側にナッツキーで細く浅いクラックを掘り出すことができた。プロテクションは、ナッツ1つとマイクロカムが効いた。

しかし、巨大なビッシリと張った根を不安定な体勢でこれ以上剥がすのは難しい。試しに掴んでみた太い根は抵抗もなく抜け、直上は不可能。右も左も、苔が元気すぎる。おまけにどちらもプロテクションはセットできない。行けば、墜落距離が長くなる。進退窮まった。

散々考えて、ここで降りることにした。

あと1メートルで何とかなる。本当にもうちょっと。


次の日は早い時間から雨予報なので、前に登った左のクラックをロープソロして、全て回収した。

もうヘロヘロ。こんな感じは久しく味わっていなかった。


登れなかったのは残念だけど、もうこれ以上何もできないというくらい出し尽くす事ができたので、悔しさよりも満たされた歓びの方が強い。



また忘れられないくらい善いクライミングができた(結果は登れなかったけど
 )。

載せた動画は要所切り取って倍速です。

登りはじめからあきらめて下降するまで、40分。ちょっと削ってユーチューブチャンネルにあげます。長いので、観てねとは言えません。








また空が暗くなってきた だけど 他には何も

  今回書いたことは、今まで書いてきた自身が行っているフリークライミングのことからは、ちょっと雰囲気が違うと感じる人もいるかもしれませんが、やっぱりフリークライミングのこと。経験から感じ考えてきたことなのです。

 

さて、パレスチナでもウクライナでも戦争は長く続いているなか、今度はイランを中心として、中東全体に戦火が広がりつつある。

アメリカ・イスラエル対イランという単純な構図ではなく、先のベネズエラのように、イランの政治体制が変わることを願う人が多くいることも知っている。

宗教との結びつきというか、これは宗教そのものなので難しいだろうが。

 

ただ圧倒的な軍事力の差がある戦争から、想像してしまうのはあのテロ。それは遠い他人ごとではなく、身近な事かもしれない。

 

今、権力や利益それに出自によって分断された世界は、殺し合いが続き混沌が深まり空がまた暗くなっている。それも前にも増して。

 

そんな今だからこそ、家にいるときはこのアルバムを繰り返し聴きたい。そして本を読んでまた考えたい。

   

2001年9月11日NYの世界貿易センタービルに航空機が激突するテロ事件が起こった。

あれから25年ほど経ってもまだ、当時の記憶は鮮明に残っている。

 

仕事の帰りに寄って肩の手術後の体を調整していたスポーツジムで、まさにその瞬間の映像を目の当たりにした。

液晶モニターに映ったビルに航空機が突っ込み表れ出てくる画はちょっと現実とは思えないものに思えた。

繰り返される映像と、何が起こったのかという解説によってはじめて、時間差でその大きな衝撃的に打たれた事を覚えている。

 

自分はちょうど、精神と身体の問題が整い、仕事を辞め、アメリカにクライミングツアーに向かう少し前の時のことだった。

 

これまで病気や事故での何人かの友人の死を目にして、子供の頃からあった死についての意識は現実のものとして形成されてきたが、この時戦争のような何か大きな力による死を少しでも意識したのは初めてのことだったと思う。

 

しばらく閉鎖された空港も、確か二月ほどで通常に戻り、予定通りツアーに行くことができた。トランジットで国内線に乗り継ぐ空港のチェックはかなり厳しかった。この飛行機がビルに突っ込むことを想像できるちょっとした緊張感があったが、機内はむしろ和やかな雰囲気で、「当機は無事SF国際空港に着陸しました」のアナウンスに歓声と笑いが起こりあっけにとられ、このズレは何なのだと思った。

 

このツアーのことは、ホームページの自己紹介のページ、に詳しく書いた。

 

気が向いたら読んでみてください。

shin-climbing.life.coocan.jp/personalhistory/personalhistory_top.html

 

もう四半世紀前のことだから、当たり前だけど、若かった。

不穏な世情の中、不安に駆られながらも、自分のしたいことだけを追い求めることだけを考えていた。

ツインタワーがグラウンドゼロとなり、大勢の人が亡くなった事件だったが、アメリカにもそこから真っ直ぐ立ち上がる力があった。

今こんなことが起こったら、果たしてどうなるのだろうか?

より戦いは過激なものとなるのか、それとも分断は協調に変わるのか?

自分はいいおっさんになってしまったが、それでも本当にやりたいことを変わらずやり続けていくだろう。

 

このTHE RISINGというアルバムは 9.11に衝撃を受け打ちのめされた 世界へ、人と人の繋がりと触れ合いの歓びを気付かせ、喪失から立ち上がれという励ましをくれるものだった。

 

 今年77歳のBOSSは

つい最近、ICEによる市民殺害への怒りを表した。

 

 

 

このストレートな怒りの表現は言葉が強すぎてちょっとらしくなく感じるところもあるが、

分断を深め、今度はアメリカ社会自らの手で喪失を作り出していることへの怒りは最もなことだろう。

自身も深い苦しみを経てきてHUMAN TOUCHに救われてきたという思いから生まれる優しい人間性が根底に確かにあると感じる。

 

何が正義で何が悪者かがはっきりとは区別しにくい世の中でも、人を殺すことに正義はない。

なぜか考えた。人はみな生まれてからその生命を閉じるまで、喜ぶ幸せに生きることつまり良く生きることが自然であるはずだ。

人を殺すこと、それが幸福であるためのの目的であることはもちろん、幸福追求の手段であるというものがいるとすれば、それはもはや同じ種類の人間ではないだろう。

だから宗教や、権力、利益のためだろうとなんであろうとそんな思い込みのために人を殺すことは悪なのだ。

 

そしてこの日本という国でも、人殺しの道具を売って金を稼ごうなんてとんでもない話が出た。防衛を名目とした攻撃能力のある弾道ミサイルが熊本に配備された。

その上戦争を放棄するとうたった憲法を改正しようとする政治家が増えてきた。

戦争を直接知る世代ではないが、これまでの戦争から学んできたことは、

憎しみは憎しみを生み、それによって行われる争いの当事者は為政者、兵士だけでなく、殺す側も、死んでいく側も大多数はいつもそこでの市民、生活者だということではなかったか。

 

自分は10年前に、自身の慢心と野心のせいで事故を起こし、死ぬ一歩手前まで行ったが、生命をつなげてもらえた。

 

障害が残りながらもこの怪我から回復していく過程は、生と死を見つめる時間だった。それによって事故前との変化に最も大切な自己認識をもたらし、顔を起こし前を向くことができたのだった。

その時間というのは、生を繋ぐことができた自分と、できなかった人たちとのことを考えながら、草木や虫、生死に囚われない小さな生物たちの生命の移り代わりを観ることから気づきを得ていくものであった。

 

自発呼吸がなく、ICUで機械によって命を繋いでもらっていた時の記憶をたどると、その時は 脳に残る記憶から夢のようなものを見ていた。意識が自発的なものだとすれば、それはなかった。あとからその夢のようなものを思い出してみると喉が渇き、体が動かせないということは感じていたのだろう。それに対して、意識的ではなく本能的に体は行動を起こしていたようだった。(聞けばただ救急救命処置室のベッドで野獣のように暴れていたようだけど)

 

そこから考えると、この時、脳は感覚から状況は感じていても、それに対し意思をっ持って体を動かす指示は行ってなかった。つまりそれをどう動かすかの理由付けには働いていなかった。

ただその状態が嫌だという本能的なものだった。

例えば、人に捕まった虫が手の中から逃げようともがくような感じ。

 

それから徐々に意識がはっきりしていく過程は、感覚から生まれる体の反射行動から脳による認識意識からの行動へと変わっていったことだった。

意識がないという脳が死んでしまった場合に近づいたようだが、脳の死も、生命活動を自力でする体の死も経験しなかったので、生と死との境を越えることがどういうことか解らないのだ。越えてしまったら当たり前だけど、わかるわけ無いが…

つまり、自分の側からは、解らないということ、それが生きていることだということが解っただけだ。

 

亡くなってしまった人に対しては、別れを強く意識することによってその人を自分の中に存在させることができるのだと思う。

それは近しい人であればあるほど、看取りや、弔うという行為が必要になるのだ。

また、友人知人で会わなくともその存在を意識することができる。

その意識する対象は生者でも死者であっても力をくれる存在になっている。

結局時間も距離も存関係なく存在は自分の意識の世界で作っている。それは悪いものであるはずがない。善いものであるのが自然な事だ。

 

障害があることによって、社会生活での生き辛さを感じ、心のバランスを崩したときがあった。

その時は社会の中で他者に対する怒りの感情を持つこともあった。悪いものを自分の中で作っているということは、自身の精神を悪いものにしているということだ。

 

自然界にある生命は他の生命に影響し合いながらただ在ることを目的として存在している。

この自分が心のバランスを崩している時に身近な自然を見て、そんな感情に左右されずただ在る生命を羨ましく思った。

そこで気づいたのだ。善くアルことそれが人間の自然な事なのだと。

 

フリークライミングとは、頼る道具を極力減らし、「己の身一つに近い状態でありのままに近い自然に対峙するスポーツ。

それは自然の岩の中で、自分という存在の自然を知ること。日々の日常では経験することがない、まあ、わざわざする必要がない行為だけど、そこに身を置き必死に生きようとすることが感じられるのだ。少なくともその時だけは自分の存在を知ることができる。

これがまさに生涯を通じて行い、学ぶことを楽しんでいけると確信しているフリークライミングが持つ究極の歓び。

 

だから 他には何も。

生命がある時にしかできない登るために自身の体の能力をすべて使うことができる喜びを全力で享受したい。

そして

それが関わる人に伝われば嬉しく思う。

 

とまあ、ホームページに書いた長々と復活の記録の続きのようになってしまったが、

、閉塞感漂う暗い今の世情から、過去を思い出し思うところを書いてしまったのは。3月のこの時だから。

 

この15年間、この時に聞いてきたアルバムです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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