「題目闘争」などという言葉や考え方などは教団による新説であって日蓮大聖人とは直接にはなんの関係もありません。
「唱題は闘い」といったりしますが、日蓮大聖人がそのように言っていたのでしょうか。
闘うのであれば勝たなければならず、また闘う相手も必要になります。
かりにそれが他人ではなく自分自身だとしても、自分に勝つための闘いとしての唱題では、「苦行」であり「祈祷」になります。
「苦行」を棄てたのが仏教の始祖であるお釈迦さんでした。
唱題とは一般的には「マントラの口唱」ということになるのですが、唱え方によってはたんなる「呪文」でしかなくなります。
マントラの口唱には、
1、神仏に対する讃嘆讃美
2、トランス状態による一種の覚醒と神仏との交流交感
3、祈念・祈願・祈祷、これは呪詛を含むなどの目的があるわけです。
1のケースは現在でもヒンドゥー系の宗教やチベット系の宗教において行なわれています。
2は、おそらくこれが「唱題」に近いように思われます。
ただし、これが実在する個人との「境智冥合」などという論理と思考の飛躍につながらないように注意することが必要です。