世界はどうなれば良いのか | 考えていること。

考えていること。

いつも心の底で感じているけれど言葉にしてこなかったこと、世の中について自分なりに考えたことをただ書きつづっていくのみです。

私は今まで、将来は「社会貢献」をしたいと漠然と考えていた。
社会問題というのはびっくりするほどたくさんある。SDGsのゴールを見たって解決が難しくて抽象的なものばかり。私が生きている間に成果を挙げられることは何か。何を目指して生きていこうか。夢は大きい方が良い。
考える上でもう1つ問題が生じるのだ。世界にある全ての問題を解決したら、どうなるか?私はなんだか何も無くなってしまうのではないかと思うのだ。
世界史の先生は言った。国際問題を解決するには国民国家体制を変え、国という概念を無くせばいいという考えもあると。私もそう思ったことはある。幕末をみてみると、小さな藩という概念(?)を無くし、一つの「日本」「日本人」を作り上げたのだ。海の外には「アメリカ」や「イギリス」があった。
それを世界でしたら…?
「日本人」「フィリピン人」ではなくみんなが「地球人」という世界。これも深く考えるとまた難しいのだが、最初に抱いたのはつまらない。ということ。そうなってしまったらつまらない。他の集団があるからこそ1つの集団が成り立つのだと考える。だから、もし皆が地球人の世界が成り立つとしたら宇宙人が確認されてからの話だと思う。「火星人」がいて、「土星人」がいて、「地球人」がいる。やがて宇宙戦争だって始まるだろう。そうしてやっと地球人にまとまりがうまれる。そういうものなのではないかと。

とにかく考えてみた。そうして私の社会貢献という目標?が少しだけ具体的なものになった。
「世界の人々が生きる上でのスタート地点を平等にしたい」
発展途上国に生まれたから、先進国に生まれたから、親が貧乏だから、肌の色が白じゃないから、LGBTQとして生まれたから、紛争地帯だから…そこの差を無くしたい。リレーではなく、レースにしたい。親がどんな人であろうとひとりひとりが同じ線から自らの人生を始められたらどんなにすばらしいか。

はい。でも、である。過去に厳しい境遇にいた人は大人になってから良い結果を残しやすい。やりたくてもできないことがあるからこそ自分でやろうとする。という場合がある。青年海外協力隊としてアフリカに行ったことがある人は言った。
日本とアフリカでは子どもたちの目が違う。日本の子どもたちの目は死んでいると。なんでだ。満足に勉強ができる環境にある、努力次第でどうにでもなれる人がほとんどだ。幸せじゃないか。でも、恵まれすぎると自らの頭で考えなくなる。考えなくても生きていけるから。

とすれば、私の目標はまだ決まらない。読んでいる方はいらっしゃいますか。もしいらっしゃったら、どう思いますか。教えてくださったら嬉しいです。