桃山断層と慶長伏見地震 | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

地震についてのはなしです


伏見は秀吉の時代に


慶長伏見地震の被害を受けた


記録によると


この地震による死者の総数は


数万人という


伏見城は天守閣が崩壊し


城内で500名にものぼる圧死者が出た


秀吉も城内にいたが


幸い難を逃れている


朝鮮出兵の責任を取らされて謹慎中の


加藤清正が真っ先に駆けつけ


救済に当たった


俗にいう「地震加藤」の故事




初代伏見城は


耐震性や地震の発生を


意識してつくられた城


にもかかわらず


指月伏見城は倒壊した


典型的な直下型内陸地震だったのだ


その大きさは


阪神大震災に


勝るとも劣らない規模の地震



 
指月伏見城が崩壊した後


木幡山と呼ばれた


現在の明治天皇陵の位置に


地震翌日から


突貫工事で作られたのが


二代目の伏見城だ


関ヶ原の戦いで


この二代目伏見城も焼失


どちらかでも残ってくれていればなあと思うが


歴史はそんな都合よくはいかない


慶長大地震から420年


見えはしないのだが


自分たちが暮らす足元にある活断層に


当然に関心が向く


伏見には


深草丘陵から桃山丘陵にかけて


南北に桃山断層が走っているのだ

 

桃山断層について


もう少し調べてみよう