静岡・辻畑古墳は東日本最古級 土器などの分析で判明
静岡県沼津市の辻畑古墳を調査していた市教育委員会は7日、出土した土器や副葬品を分析した結果、同古墳が弥生時代後期から古墳時代初期(3世紀中ごろから後半)に築かれた東日本最古級の古墳と分かったと発表した。
近畿地方で本格的な古墳の築造が始まったのとほぼ同時期にあたる可能性もあり、古墳が各地でつくられるようになった経緯を考える上で貴重な発見となりそうだ。
市教委によると、辻畑古墳は全長約62メートルの前方後方墳で、一部が道路で削られたため幅は推定35メートル。後方部で木棺跡が検出された。鏡や鉄鏃(てつぞく)などの副葬品の組み合わせや土器を調べたところ、3世紀中ごろから後半のものと分かったという。
また、墳丘の周囲に掘られた周濠からは、祭事に使われたとみられる高坏1点が割れた状態で見つかった。破片はほぼ全部分あり、高さ約20センチ。脚部上方にくしで引いたような横じまがあることから、3世紀前半に作られたとの指摘もある。
市教委は「卑弥呼の墓とされる奈良県桜井市の箸墓古墳とほぼ同じころに築かれた可能性もある」と話している。 (静岡新聞)
で、箸墓古墳に比べずいぶん地味な報道なんだが、この調査を指導している愛知県埋蔵文化センター調査課長の赤塚次郎氏も 「邪馬台国の時代にも東海から東で独自の文化が形成されていたことはわかっている。」 と言っているわけで、古墳ではないが前に書いた芝川にある 大鹿窪遺跡
からは1万年以上も前に富士山に向けて祭祀を行なっていた痕跡が確認されているし、愛鷹山山麓には日本列島が大陸から切り離される前の、なんと29,000年も前の石器も発見されているわけで石器時代からこの辺では人が住んでいたのです。実は時代は別にしても富士市内だけでも600基を超える古墳がすでに発見されているのである。
通常、古墳とは大和朝廷などの中央の勢力が、地方の王や有力な豪族たちなど、限られた人々だけにつくることを許した墓であるとしているのだが、日本各地の風土記には大和朝廷に帰順しない人たちを 「土蜘蛛」 といって妖怪扱いしていたわけで、そんな人たちに古墳を作る事を許すはずはない。というか、今回発見された辻畑古墳が卑弥呼が生きていたとされる時代の230年前後の築造であるとしているわけで、大和王朝が富士王朝に習って前方後方墳を真似た可能性も否定は出来ないだろう。
ところで、辻畑古墳では13日午前10時と午後1時半の2回現地説明会をするのだが、国内の古代史マニアが参集する事でしょう・・・が、残念ながら私は所要があって参加できない。とほほ・・・(ノ_・。)
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