近つ飛鳥博物館館長の白石氏が、纒向遺跡の建物の方向が東向きである事の理由として2つあげていたのだが、一つは太陽信仰があった事と、もう一つが三輪山の方向が東であった事をあげていた。実は加茂喜三氏のその著書 「卑弥呼の故郷」 の中で、卑弥呼は日の神子(みこ)だったとしている。もちろん 「魏志倭人伝」 の中では卑弥呼であるが、音読から推察すれば日神子であり、日御子、日見子なのであって、それらの何れであるにせよ本質は、太陽の子の意味ともとれる。これは私の解釈であるが、火神子とも取れるのだ。
シャーマンである日の神子は鬼道祭祀を行っていたとされるのだが、鬼道の鬼は魂であり霊であり、霊は日の意味を表す。なぜ霊が日だというと、記紀の「高御産巣日(たかみむすひ)神」=「高皇産霊神」の記載を見ればわかるように、日=霊(ひ)であって、鬼なのである。そして三輪山にも関わる話なのだが日は火なのかもしれない。
そこで三輪山である。日(太陽)の観測で中心をなすのは冬至・春分と秋分・夏至の三つに大別できる。太陽をその形態から輪とみると三つの輪となる。これが三輪だと加茂氏は記しているのだが、三輪山は御諸山ともいわれたようで、諸とは神が鎮座する山の意で韓国の古語でも神のいる森をモロといったとされる。神が鎮座する、隠れ住まう山や森の神域の事を神名火(神奈備)というのだが、円錐形のきれいな山の三輪山から連想されるのは、神名火の象徴の火の神朝があった霊峰富士なのである。
当時はまだ九州王朝もあり、富士王朝もあったわけだが、大和では両王朝に配慮する必要があったのだが、富士山ではなく独自の神名火である三輪山を神体とする事により、大化の改新までの間、独立性を高めていく事となったのであり、その誘導者が卑弥呼であったと思うわけです。まあ、今後どんな有力な証拠が見つかったとしても、もはや誰も100%納得できる検証する事は不可能であると思われるわけでして、どんな解釈をしようと自由なわけで、これからもこういう話は書いた者勝ちなのです。(^-^)/

