2024年9月14日 土曜日 

 16時~18時に横浜読書会 「第81回考える横浜読書会 課題本 ポール・オースター著 『幽霊たち』」に参加。

 

 課題本の課題本はこちら。

 

 

 今年4月30日に亡くなったアメリカ・ニューヨーク在住の小説家、ポール・オースターの初期作、「幽霊たち」

 

 著者のオースターのプロフィールを新潮社公式から転載します。

 

(1947-2024)1947年生れ。コロンビア大学卒業後、数年間各国を放浪する。1970年代は主に詩や評論、翻訳に創作意欲を注いできたが、1985年から1986年にかけて、『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表。一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。他の作品に『ムーン・パレス』『偶然の音楽』『リヴァイアサン』『ティンブクトゥ』『幻影の書』『ブルックリン・フォリーズ』『写字室の旅/闇の中の男』『冬の日誌/内面からの報告書』などがある。 

 

 私はオースターの名前は書店の本棚に名前があるので知ってはいましたが、手に取って読んだ事がありませんでした。

 現代作家としてはウィリアム・フォークナーなどの「意識の流れ」を得意とする小説家をよく読んでいます。

 オースターは今回初めて読みました。

 彼の作風はフォークナー、「緑の家」のバルガス・リョサ、「万延元年のフットボール」の大江健三郎さんとは異なり、中編が多く、登場人物を客観的に描いています。

 最近まで「意識の流れ」の元祖、ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んでいた私にはとても新鮮で、それゆえにとても面白く読めました。

 

 読書メーターの感想です。

 

「 横浜読書会の課題本です。オースターの名前は知っていたが、読んでいなかったので読んで読書会に参加する事にしました。今までこのような小説は読んだ事がなかったのだが、すごい面白い!ニューヨークの街の描写や人間の心理状況がとても細かく描かれている。そしてソローの「ウォールデン」やホイットマン、ホーソンなどのアメリカの文学の大家が登場人物の会話のネタに使われていたり、そのくせ登場人物の名前が全部「色」で表されるなど中々実験的。そして結末は…。いや、想像は付いたけどまさかと思った。やられた!と思った。」(2024年9月7日付)

 

 最後の箇所はこの小説がいわばサスペンス仕立てになっていることを描写したものです。

 この小説は他にも色々仕掛けがあり、楽しめる人は楽しめますが、分からない人には分からない、という両極端な評価になるようです。

 

 もう一つ文中に出てくるソローの「ウォールデン」とはこの本です。

 

 

 アメリカ文学の名作とされる「ウォールデン 森の生活」

 1995年に購入して読みました。

 ずっと本棚に眠っていましたが、今回撮影のために取り出しました。

 もっともこの本は「幽霊たち」の筋に関わって来るのか、こないのか、ちょっと説明が難しいです。

 

 今回の課題本はほぼ一週間前に読みました。

 例によって内容を忘れていたので、直前になって横浜に向かう電車の中で32頁ぐらいまで再読したところ、最初の時に見逃していた「仕掛け」に気付きました。

 この本は謎かけ、仕掛けがちりばめられていて、一回読んだだけでは分かりにくいので数回読むことをお勧めします。

 

 横浜読書会 KURIBOOKS 公式

 

 会場はいつものとおり、関内駅の近くのカフェ。

 相鉄線と京浜東北線で会場へ向かいます。

 途中横浜駅で降りて鉄道模型店に立ち寄り、紛失していた車両のパーツを買いました。

 鉄道模型は小さいので部品の紛失が多く、パーツも店によっては置いていないので注意して店を探す必要があります。

 幸い今回はお目当てのパーツがあり、幸運を神様に感謝(^-^)

 

 その後京浜東北線で館内に向かい、伊勢佐木町にある有隣堂の店内を巡ってから会場へ。

 今回の参加者は9人でした。

 オースターは今まで読んだ事が無かったという人がほとんど。

 一人だけ大学時代にオースターを読んだ事があり、オースターはどういう小説家か、簡単に説明してくれました。

 オースターは1985年デビューなので、私も大学時代に読むのであればちょうどいい機会でした。

 ちょっと残念です。

 

 今回はファシリテーターを務められた方があらかじめオースターについて調べた事、そして読んで気になった箇所をまとめた4ぺージのレジュメを作ってきてくれました。

 これに沿って読書会を行ったおかげで大いに盛り上がりました。

 オーソドックスですが、やはり読書会はこう言うのが一番なのでしょう。

 

 彼女のレジュメの要点を極々簡単にまとめますと、

 

 ① 「幽霊たち」は「ガラスの街」「鍵のかかった部屋」と並んで「ニューヨーク三部作」と呼ばれている。

 ただしオースター自身はそのようには言っていない。

 探偵小説のようにはじまりながらも次第に哲学性に浸されるために、形而上学的探偵小説と呼ばれる。

 なお、探偵小説の元祖とも言うべきエドガー・アラン・ポーの小説から登場人物名を借りるなど探偵小説の先達へのオマージュもあるようです。

 

 ② メタフィクション的手法がとられている。

 メタフィクションとはフィクションとはなんであるかを問題とする意識的なフィクションのことであり、様々な手法で作品の虚構性が強調される。

 メタフィクションは、リアリズム小説のように作りものであることを隠そうとするのではなく、逆に作り物であることを強調してみせる。

 

 例えば

 5頁「物語はそのようにしてはじまる」

 132頁「物語はまだ終わっていない」

 同  「私個人としては、彼がはるか遠くの地へ旅たっていったと考えたい。(略)彼は中国へ行った。そういうことにしておこう」

 と語り手の意見を提示する。

 

 ③ 物語の始まりは1947年2月3日でオースターの生年月日と一致

 

 ④ 主な登場人物は全部色(ブルー、ブラック、ホワイト、ブラウン…といった具合に)

 

 …といったところです。

 

 このレジュメをもとに議論を進めました。

 出た意見については本当に様々でしたし、メモを取っていたとはいえ、忘れていたり聞き取りにくくて分からなかったものがありますのでまず私の感想を書いておきます。

 

 ① オースターの手法は「意識の流れ」的小説へのアンチ・テーゼではないか。大江健三郎さんが小説家は先達の手法を乗り越えようとする、と言っていたかと思いますが、オースターも「意識の流れ」的な小説家を乗り越えようとして形而上学的探偵小説を書いているのではないでしょうか。

 

 ② この「幽霊たち」はニューヨークのある街区の一部に舞台が設定されているが、これはフォークナーの「ヨグナバトーファ・サガ」あるいは大江健三郎さんの「窪地」を舞台とする小説の手法に似ているし、最後ブルーがニューヨークの外に出て行ったらしい?あたりもフォークナー、大江健三郎さんの小説では最後は外の世界に出ていく場面で終わる手法と似ていると思います。

 

 ③ 登場人物の一人ブラック(=ホワイト)はもしかしたらオースター自身?オースターが小説を書いていなかったらこうなっていたのかもしれないなあ、という可能性を書いているのかもしれないですね。

 

 …と言ったところでした。

 

 この私の感想に引き付けて他の方の感想で印象に残ったものを書いておきます。

 

 ① 場面の描写が奥行きがない。

   確かにそのとおりで、これは上記の②の視点を補う見方でした。

 

 ② 登場人物の顔が想像できない。「記号」のようである。

   これには私も同意します。

 

 ③ 登場人物(特にブルーとブラック)が立場を頻繁に入れ替えつつ、同時に心理描写がなされている。

   この辺りも「意識の流れ」的小説の手法を意識しているとは言えないでしょうか。

 

 他にも魅力的な感想が出ましたが、ブログを書く時間を掛けるのも何なのでここまでといたします。

 

 長々と書きましたが、オースター「幽霊たち」を読むになったのであれば幸いです。

 

 18時に終了。

 皆さんありがとうございました。



   読書会の最後に撮影。
   横浜読書会恒例です。


 その後近くで懇親会。

 読書論議に花が咲きました。

 やはり読書会は良いものです。

 そして本を読むことも。

 

 皆様が良い本に巡り合えますように神様にお祈りします(^-^)