2024年7月7日 日曜日 七夕
7月最初の日曜日です。
今日もいつものように所属教会の7時半からのミサにあずかりました。
ミサの事を書く前にすこし話題を変えて、現在私が毎朝取り組んでいる祈りについて書きます。
この本を使いながら祈っています。
カトリック祈祷書 祈りの友。
2013年に購入したものです。
最初に買ったのはこれより古い版でしたが、アヴェ・マリアの祈りなどが新しくなり、買い直しました。
この「祈りの友」は実に沢山の祈りが載っており、カトリック信徒であれば重宝している人も多いと思います。
私は起床後、ロザリオの祈りを一通り唱え、その後で43頁の「朝の祈り その一」を祈ります。
これは
礼拝の祈り
主の祈り
アヴェ・マリアの祈り
使徒信条
聖書朗読
詩編・栄昌
霊的聖体拝領の祈り
結びの祈り
死者のための射祷
守護の天使への祈り
を祈るものです。
途中の聖書朗読ではこの本を用います。
この本に掲載されているその日の指定された聖書の箇所を読み、その後で指定された過去の司教様・聖人たちの説教・書簡を読むものです。
この祈りはとても良いものです。
2021年11月の猫町俱楽部長編読書会「教養として読む聖書」読書会のレクチャーの講師を務められた宗教社会学者でルーテル派信徒の橋爪大三郎さんはレクチャーにて「祈りとは神様との対話である」と言われていました。
全くその通りです。
読書会は思わしくないものに終わりましたが、橋爪さんの講義は大変すばらしいものでした。
橋爪さんは祈りの意義を強調されていました。
橋爪さんには残念ながらもうお会いできそうもありませんが、同じキリスト者として今も感謝していますし、尊敬しています。
祈るときに時々橋爪さんの「祈りとは神様との対話である」と言う言葉を思い出しています。
これらの一連の祈りを終えて、日常生活を始めます。
今日のミサはいつもの通りのミサでした。
今日は神父様のはからいで所属教会で研修中の神学生による説教がありました。
はっきりした大きな声で説教をされました。
今日の福音の箇所はマルコによる福音書 6章1~6節です。
イエス様が故郷ナザレに戻ると、ほとんど奇跡をおこなう事が出来なかった事を物語る箇所です。
今日は第一日曜日のため、使徒信条に代えてニケア・コンスタンティノポリス信条を唱えました。
長いですが、最近ようやく慣れてきた気がします。
ミサは今日も無事に終わりました。
今日は暑かったですね。
年々気候変動が激しくなっているのは間違いなさそうです。
創世記によると神様はこの世界を「善いもの」としてお創りになりました。
東京大学教授の山本芳久先生は昨年の「創世記」の講座にて、人間は神様が「善いもの」としてお創りになった自然、そしてこの世界を人間の思い通りに扱ってよい、と言う事ではなく、神様の意向に沿った形で扱う、あるいは接しないといけないのだ、と言う意味の事を言われました。
人間は「善いもの」として創られた自然や世界を人間の欲望の思うがままに扱い、そして接したがために二酸化炭素増加による地球温暖化による気候変動の激化など、危機的な状況を招いています。
果たして人類はこの先生き延びる事が出来るのか、真剣に考えなければならなくなっています。
私たちは「善いもの」として神様が創られた自然や世界に対して本来あるべきありかたで接して行くためにはどうしたら良いのか考えるべき時期に来ているのでしょう。
今週も皆様に神様の恵みがありますように(^-^)