2024年4月8日 月曜日

 昨日からこの本を読んでいます。

 

 

 イタリア最大の詩人ダンテ・アリギエリの「神曲」の最新日本語訳である原基晶訳のダンテ「神曲」地獄篇です。

 

 この原基晶訳は冒頭で「神曲」が書かれた当時のイタリアの政治情勢が分かりやすく説明されています。
 ダンテは故郷フィレンツェ市の統領の一人だった。
 そしてフィレンツェをはじめとするイタリア中部の商業都市国家は神聖ローマ皇帝を支持する皇帝党とローマ教皇を支持する教皇党に別れ激しい争いを繰り返していたのです。
その政争に巻き込まれ、ダンテもフィレンツェを追われ、流浪の生涯を送る事になる。

 だからダンテはこの地獄篇でかつての政敵たちである故郷フィレンツェ市の同郷人たちを罵倒しています。
 もっともトマス・アクィナス、アウグスティヌスの神学に傾倒しておきながら、かつての政敵に大変痛い目にあわされれたとは言っても、彼らを罵倒するのはマタイ福音書5章44節の「しかし、私はあなた方に言っておく、あなた方の敵を愛し、あなた方を迫害するもののために祈りなさい」に反してませんか?

 ダンテ先生?(笑)

 いえ、ダンテ「神曲」講義で平川祐弘先生が斯様に好き嫌いの激しいダンテの事をチクリと批判していたもので(^^;

 

 

 この本です。

 この本を読み終えたので原基晶訳に取り掛かる事にしたのです。

 

 せっかくなのでこの本の感想を読書メーターから引用しておきましょう。

 

 「ダンテ「神曲」の一番の日本語訳者平川祐弘先生による「神曲」講義。「地獄篇」に登場する地獄の描写が仏教の教えに基づく日本とキリスト教世界でどう違うか、「神曲」の日本語訳の違いや英語ではどう訳されているか、などかゆいところまで手が届く解説でとても面白く読める」(上巻の感想)

 

 ダンテ「神曲」講義の下巻。地獄篇の解説が一番長いのはどうよ?といぶかる向きもあろうが、地獄篇が一番面白いのだから良いのでは。カトリックの私も天国篇はあまり面白くなかった。ダンテの鼻持ちならなさを批判する平川先生の言葉も適切。平川先生は斯様なダンテを持ち上げたがるキリスト教徒を批判しているのだが、平川先生に一言申し上げます。先生はキリスト教の一面しか見ておられません。ボッカッチョ的な寛容性もキリスト教は持っているのです。神様はダンテやボッカッチョが体現する人間の弱さをも愛しているのです(^-^) (下巻の感想)

 

 さて、原基晶訳はどのようなものなのか。

 じっくり味わう事にします。 

 

 いざ行かん。
 ダンテとウェリギリウスと共に4度目の地獄の旅へ!