前回の続きです。

 

 3.お粗末な「教養として読む聖書」読書会が行われた理由を探る。

 

 前述のようにあまりにもお粗末すぎた「教養として読む聖書」読書会。

 ではどうしてそのような読書会が行われたのか。

 それは「教養として読む聖書」読書会を含む猫町倶楽部の長編読書会なるものがあまりにもお粗末だったから…に他なりません。

 

 

 「教養として読む聖書」読書会はコロナ禍の猫町倶楽部のオンライン読書会で始まった「長編読書会」の一環として行われたものでした。

 呉茂一「ギリシア神話」紫式部「源氏物語」「平家物語」トルストイ「アンナ・カレーニナ」読書猿「独学大全」が取り上げられていたと記憶しています。

 これだけ見るとなかなか錚々たるラインナップ。

 きっと素晴らしい読書会だったに違いない、と普通は思います。

 

 …しかし、どうもそうではなかったようなのです。

 と言いますのは私は長編読書会に参加していないにも関わらず、私が「平家物語」に参加している、と勘違いしたサポの一人が私が「猫町ラウンジ」に投稿した鶴岡八幡宮の写真を「平家物語」の参加者限定部屋に転載してほしいと頼まれたことがあります。

 その時は快く転載に応じました。

 しかし、その「平家物語」読書会なるものは具体的にどういうイベントだったかは覚えてませんが、やたらイベントが立ちまくっていました。

 大変な熱気を感じるくらいイベントが立っていたのです。

 しかし、・・・なんでそんなに盛り上がってるんだ?

 そのような疑問が浮かびました。

 

 そしてこのイベントが乱立し、熱気がやたら上がっていた長編読書会なるものには実は講師がいなかったのです。

 確かに「平家物語」では初心者のためのトークイベントがあり、講師が呼ばれました。

 しかし、毎回は来てませんでした。

 つまり「教養として読む聖書」読書会のレクチャーの講師橋爪さんと似たようなものです。

 

 猫町倶楽部はに光文社古典新訳文庫編集者の駒井稔さん主催の「駒井組」があります。

 私も一度参加しましたが、これは毎回駒井さんが来ていましたようですし、読書会にも途中で参加されていました。

 恩田院読書会の利点を上手く生かしていました。

 そこには学びがあったと感じました。

 

 しかし「長編読書会」には講師はいませんでした。

 試しに「猫町倶楽部 長編読書会 講師」で検索してみてください。

 橋爪大三郎さんと平家物語の講師安田登さんが最初に来るはずです。

 

 最近行われた源氏物語は講師が付いてます。

 しかし…その講師はスケザネさんこと渡辺祐真さんです。

 この人は存じ上げなかったので検索したら、研究者ではないですね。

 

 そして渡辺さんが講師「源氏物語」の前のカフカ「城」の長編読書会の講師も中村うさぎさん。

 

 ・・・はあああ????

 

 まさしく新約聖書ルカ福音書6章39節に書いてある通りで

 「 イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。 」

 と言う事になるのではないでしょうか。

 

 「教養として読む聖書」読書会の末路はまさしくイエス様が2000年前に予言されていたとおりとなりました(^^;

 とほほ。

 橋爪さんが「教養として読む聖書」読書会は「無謀」と言うわけです。

 橋爪さんは預言者エレミヤだったのです、きっと。

 

 …しかしこういうお粗末な読書会だったのに長編読書会は妙に熱気が上がっていたのは確か。

 私が「教養として読む聖書」読書会に参加した第一の理由がこの長編読書会の熱気に負けた、と言うのがあります。

 だからまさかルカ福音書6章39節のイエス様の預言通りになるとは想像が出来ませんでした(^^;

 神様、イエス様、そして聖ルカ様。

 警告を見過ごしたことを何とぞお許しくださいますようにm(__)m

 

 

 4.「教養として読む聖書」読書会の多数の参加者の参加理由が未だに良く分からない。

 

 と書いたら「…何を馬鹿な事を!!!人を馬鹿にするにもほどがあるぞ!!!」と言うお叱りを受ける事は分かっています。

 しかし事実なのですから仕方がありません(^^;

 いや、本当に分からないのです。

 今も必死に考察しておりますが。

 実際キリスト教に興味があったという参加者はそれほどいませんでした。

 そりゃ確かに昔ミッションスクールでちょっと聖書を読んだ、と言う人はいました。

 しかし、信仰は持ってませんでした。

 だからそう言う人に橋爪さんが「聖書は信仰の書である」とまともな事を言ってもちんぷんかんぷんだったようです。

 

 サポに欧米の映画や文学には聖書の物語が反映されている、と言う話をして誘う人もいましたが、果たしてそれがどこまで効果があったのかは疑問です。

 

 大体講師がレクチャーの講師の橋爪さん以外にももっと呼ぼうよ、と言う声はありませんでした。

 橋爪さんのレクチャーもこれは酷くて、何だか橋爪さんを「舐めてる」感じがしました。

 「失礼だなあ~」と思いつつもブログではそれは何とか抑えて書いてあります。

 

 確かに聖書選びや解説本の購入に熱心な人はいました。

 でもこれは一種の「コレクション」本あるいは「稀覯本」まがいの感覚だったのではなかろうか、と思います。

 恐らくほとんどが途中で他の参加者同様に挫折しています。

 まあ、過去の猫町では結構あった話です。

 私の参加した「21世紀の資本」も参加者の倍ぐらいの挫折者がいたはずと踏んでます(^^;

 

 恐らく考えられる中で一番最多の参加理由は「興味本位で参加してみた」だったのでしょう。

 猫町倶楽部の「長編読書会」で「聖書」を読んでます!と言えばカッコ良く見えますものね(^^;

 コロナ禍で外出がほぼ不可能な時期で、オンラインでの活動に充てる時間は相当確保できるようになりましたのもありましょう。

 

 そして途中で難しいという声が上がって離脱者多数だったにもかかわらず「教養として読む聖書」読書会が続行されたのは、恐らくは「興味本位」と言う軽い理由で参加したものの、参加者そしてサポの皆さんも深入りしすぎて引っ込みがつかなくなってしまい、このまま続行しないと格好が付かない、と言う声が続出してそのまま続行しただけだったのではないでしょうか。

 「教養として読む聖書」読書会の新約聖書編でのサポの皆さんの表情もどうも妙でした(^^;

 

 まあ、こう考えればタツヤさんが何で「教養として読む聖書」読書会に関して猫町ラウンジ内外で沈黙を貫いているのか納得が行きます。

 恰好が付かなかったのでしょう(^^;

 

 いやはや、全く持ってとほほな話です(^^;