2020年2月2日 日曜日

 

 この日は神奈川県伊勢原市の洞昌院にある太田道灌の墓と梅の咲く小田原城を訪れました。

 

 この日は小田原で知り合いのIさんがKさんに呼びかけて行われた財政学者井手英策さんの新著「いまこそ税と社会保障の話をしよう!」読書会が予定されており、時間に余裕を持たせて行くついでに以前から興味のあった太田道灌の墓を訪れることにしました。

 

 太田道灌は現在皇居がある江戸城を築城した武将として有名ですが、実際には皆さんそれ以上のことは知らないのではないでしょうか。

 ウィキペディア 2020年2月現在の記述を引用します。

 

「太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。武将としても学者としても一流という定評があっただけに、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い 」

・・・と言うことです。

 

 この太田道灌は大山登山で有名な伊勢原市の出身で終焉の地も伊勢原市です。伊勢原市では現在太田道灌を偲んで「道灌祭り」も行われています。そして伊勢原市は私の実家のある厚木市のすぐとなりにあります。

 と言うことで太田道灌の墓には一度行ってみたかったのですが、中々機会がありませんでした。

 

 太田道灌の墓は伊勢原駅から大山ケーブル行きのバスに乗り、道灌塚前バス停から歩いて数分の洞昌院にあるとのことなので、小田急線伊勢原駅で下車。

 

 

 

 伊勢原駅のバスのりばの4番から出る大山ケーブル行きのバスに乗車。10分程度で道灌塚前バス停下車。

 

 

 とは言うものの、お寺さんらしきものがない。

 スマートフォンでグーグルマップを見ながら洞昌院を探索し、バス停から5分ぐらいのところでこの看板を発見。

 

 

 洞昌院です。

 

 

 目指す太田道灌の墓へ。

 

 

 

 太田道灌の墓です。

 太田道灌は主君である関東管領上杉定正にこの近くにあった上杉館に呼び出され、上意討ちにされてしまいました。

 ときに1486年7月26日。

 享年55歳でした。

 討たれた時道灌は「当方滅亡!」と叫んだと言います。

 その言葉通りまもなく上杉家は扇谷上杉家と山内上杉家の醜い内部対立が再燃し、滅亡へと向かうことになります。

 上杉家の衰退に伴い、関東の覇者となったのがこれから向かう小田原に居城を構えた伊勢盛時を始祖とする後北条氏でした。

 

 

 洞昌院の境内を回ります。

 

 

 

 

 

 この洞松院は太田道灌が開基となって造営したものです。

 533年の長きにわたって非業の死を遂げた太田道灌の慰霊を続けています。

 

 再び太田道灌の墓へ。

 

 

 

 

 太田道灌のために手を合わせました。

 道灌がこの地でいつまでも安らかに眠れることを祈ります。

 

 

 洞昌院から少し離れて撮影。

 大山です。

 この辺りは私の実家のある厚木市北部と同じようなのどかな風景が広がっています。

 

 再びバスに乗り、伊勢原駅へ。

 

 

 伊勢原駅から再び小田急線に乗り、小田原へ。

 

 

 小田原駅にて。

 

 読書会開始まで時間があったのを幸い小田原城へ。

 梅まつりの時期です。

 

 

 蝋梅。

 

 

 

 

 

 

  天守閣。今回は登りませんでした。