2018年8月4日 土曜日の日記です。

サントリー美術館に行った後、午後4時から近くのオフィスビルにある貸し会議室を会場とした猫町倶楽部東京アウトプット勉強会 森本あんり「反知性主義」読書会に参加。

 

今回の課題本はこちら。

 

 

ただし、この帯のアオリは明らかに誇大広告で、この本は2015年2月の刊行で当時は不動産業者に過ぎなかったドナルド・トランプ現アメリカ合衆国大統領の名前は一切出てきません。

帯から連想される政治関連の本というよりもアメリカの独特なキリスト教の信仰についての本というのが正解です。

著者の森本さんは国際基督教大学を卒業後、東京神学大学大学院を経てプリンストン神学大学院博士課程と言うバリバリのプロテスタント神学を修めた牧師様でもあり、著書多数でwikiでみるとプロテスタント神学に関する著書が多い。

私もクリスチャンですが、カトリックでプロテスタントとは異なるので多分ついて行けなさそう。

 

この本はとても面白くて3日間で読み終え、直前に再読しました。

読書メーターから感想を転載します。

「猫町倶楽部東京アウトプット勉強会の7月課題本。前から気になっていた本で3日間で一気に読んだ。反知性主義とはわかりにくいが反エリート主義に近く、知性と権力との結び付きに反発する動きのこと。リヴァイヴァリズム、伝道集会などアメリカの福音主義と呼ばれるキリスト教信仰の広がりに大きく貢献し平等を指向する傾向が強く、ジャクソン大統領によるジャクソニアン・デモクラシーなどアメリカの民主主義の発展にも大きく貢献している。ただし反知性主義のもたらした負の面、マッカーシズム、創造論などの言及が少ないのが難点だと思う。」

 

今回の読書会は一週間延期という異例の展開になりました。

7月28日台風が日本を逆走しながら直撃すると言う事態になり、関東地方も天候が荒れたため、やむなく一週間延期になりました。

今回の参加者は40人程度でしたが、サポーターによると3分の1がキャンセルしたそうです。

逆に延期になったために参加できた幸運な方もいました。

私は幸い予定がなかったのでそのまま参加。

延期のおかげで二回目も無事完読でき、理解を深めることが出来ました。

 

前回の日記に書いたサントリー美術館を出たのが午後2時半。

読書会の受付開始が午後3時半だったのでその間の時間を潰すのが大変でした。

おまけに猛暑でなおさらでした。

とは言うものの無事に午後4時読書会開始。

今回は6つのグループに別れ、私のグループは6人。

アウトプット初参加者もいました。

今回の参加者が少なかったのはサポーターの一人が言っていましたが内容が難しかったからでしょう。

 

読書会のはじめに自己紹介。

「夏を感じたエピソードを交えてください」とのサポーターからの注文。

私は母の出身地の行田市の隣が「日本一暑い」熊谷市なので今年もやっぱり熊谷市が日本一暑かったことを話題にしました。

 

そして読書会開始。

例によって他人の意見の批判はせず、本の感想を述べ合うスタイル。

 

ある参加者は「帯と内容が違っていた。最後にトランプ現象のことについて出てくるのかな、と思って読んでみたけど、全然出てこなかったので不思議だった」と言っていました。

これは皆さん同じ意見でした。

新潮社は何でこんなアオリつけたのでしょうか?

 

最後の方で成功哲学や自己啓発のことが出てくるあたりも皆さんかなり

違和感があったようです。

日本でも盛んな自己啓発、あるいはポジティブ思考はアメリカのキリスト教の信仰から派生したものです。

アメリカのように(アメリカ先住民のことはさておき)何もないところへ他の土地から移民してきた人たちがたくましく生き抜くためには自己啓発のような考え方が必要だったとは思いますが、カトリックの私にもそれは違う、と言う気がします。

キリスト教は本当はルカ福音書の「放蕩息子の譬え」や鶏が鳴く前に三度イエスを否認した第一の使徒ペドロが復活したイエスに許されたエピソードに見る如く失敗だらけでみっともない人間でも精一杯生きることが出来るようにする教えだと思います。

 

その他、文中に出てくる映画「リバー・ランズ・スルー・イット」の話から釣りのことに話が発展したり、といつものように面白い読書会になりました。

 

私は今回の読書会でグループでは唯一のクリスチャンだったのでクリスチャンとしてどう思ったかを中心に話しました。

以下、「反知性主義」を読んで、また読書会で皆さんの話を聞いて考えたことを下記にまとめておきます。

まず最初にこの本の冒頭で「知性主義」的なアメリカのプロテスタントの信仰の有様が出てきます。

手短に言うと豊富な知識を交えて日曜日に延々と三時間近くも牧師さんが説教するスタイルの礼拝を中心とする信仰生活です。

この長時間の説教ですが、私にも苦い思い出があります。

私が洗礼を受ける前に一度だけプロテスタントの教会に行ったことがあります。

復活祭の日に行ったのでルカ福音書の「エマオの旅人」をもとにした説教を一時間も聞く羽目になったのです(ToT)

・・・あまりの長さに辟易してすっかりプロテスタント教会は嫌いになってしまいました。

・・・いや、誰でも嫌になるでしょうね。

99匹の子羊を置いて一匹の迷った子羊を探しに出かけた羊飼いとしてはこれはまずいんじゃないの?

しばらくして行ったカトリック教会のミサでは儀式は綺麗だし、説教は10分ぐらいだし、すっかりカトリックが気に入ってしまい、最終的にカトリックになったわけです。

多分多くのアメリカ人も「知性主義」的な教会に辟易して信仰復興運動、野外伝道集会主体の「反知性主義」的な信仰に走るであろうことは理解できます。

 

とは言えじゃあ「反知性主義」的な信仰ならどうか?と言うと、多分これも日本人には違和感ありまくりでしょう。

日本人の信仰は神道や仏教でもキリスト教でも共通すると思いますが、「手を合わせて静かに祈る」スタイルだと思います。

神社でもじっと手を合わせていますし、坐禅会も盛んに行われていますし、教会でも静かに祈ることが多いように思います。

その様な日本にセールスマンのセールストークよろしく伝道師が信仰の素晴らしさを訴える「反知性主義」的な信仰を持ち込んでもうまくいくわけはないでしょう。

明治以降アメリカの伝道師を中心にキリスト教の布教が活発に行われましたが上手く行かなかったのは多分「知性主義」「反知性主義」的な信仰が合わなかったからだと思います。

カトリックの静かに祈る形は仏教や神道がすでに合ったから入り込めなかった。

ただ、「知性主義」的な信仰を持つ人は明治以降の日本人が必要とした社会科学、自然科学に詳しい人が多く、そのために日本の知識人層に「知性主義」的なプロテスタントの信仰を持つ人(新島襄、内村鑑三など)が少しは増えた、ということではないでしょうか。

 

ちなみにアメリカのこの「反知性主義」的な野外伝道集会を中心とする信仰が根付いたのはアメリカが移民社会で一人ひとり人種などが異なり、しゃべらないと理解し合えない社会だったからではないか、と言う感想を述べた参加者がいました。

私も同じ考えです。

 

さて、この「反知性主義」はアメリカのキリスト教の信仰を知る上でとても役に立つ本ではあるのですが、問題もあります。

それは著者の森本さんが「反知性主義」の負の面についてあまりページを割いていないことです。

アメリカでは1000万人から2000万人が聖書の記述、特に「創世記」の「この世界は神様が7日間でお作りになった」という物語をそのまま信じる人、創造論者だと言われています。

彼らは教科書に進化論を載せるな、などかなりメチャクチャなことをやっています。

この創造論者のルーツがまさにここで取り上げた「反知性主義」です。

ところが森本さんはこのことについて一切書いていません。

森本さんは「反知性主義」を「知性主義」の行き過ぎに歯止めをかける存在として捉え、好意的に書こうとしていますが、私に言わせれば「反知性主義」は創造論者に見られるようにもはや弊害を撒き散らしつつある危険な存在になりつつあるように思えます。

その様な認識を森本さんが欠いていることに憤りを感じます。

これは森本さんが前に書いたようにバリバリの「知性主義」的な信仰を持っていることが仇になっていると思えます。

森本さんは「知性主義」の負の面を自覚しており、それが「反知性主義」への期待となっていてこの本を書かせたのではないかと思えますが、しかしそれで良いのでしょうか。

「反知性主義」の負の面をもっと書くべきではないのか?

それでこそ「知性主義」ももっと鍛えられるのではないだろうか。

そう感じるのです。

 

読書会の後は近くの居酒屋での懇親会に参加。

以前聖書の読書会に参加して聖書に馴染んでいたので今回参加した、という方がいて彼は新共同訳続編付き聖書を持参していました。

やはり聖書は非キリスト教国の日本でもよく読まれていますね。

 

午後9時で懇親会もお開きになりました。

参加者の皆様、そして一週間延期にもかかわらず読書会を無事終わらせることの出来たサポーターの皆様ありがとうございました。