若い頃は、結婚する気は全くありませんでした。
世の中にはたくさんの女性がいるのだから、いろんな女性と楽しんだ方がいいと思っていました。
一人の女性に縛られるのは、どう考えても、割に合わないような気がしました。
で、それなりに遊びました。

私を本気で好きになってくれた女性も何人かいたようです。
4.5人の女性から、「結婚したい。」という意思を匂わされました。
(単なる私の思い過ごしだった可能性も高いですが。)
父親に会わせられた女性もいます。
たまたま私の「もて期」だったのでしょう。

でも、そういうご縁は全部切り捨てました。
今、思うともったいないことしたなあ、と思います。
既婚者なのですから、過去の女性はどうでもいいのですが、どうしてあんなに簡単に縁を切ることができたのか、不思議でした。
たぶん発達障害だから、とは思いましたが、はっきりわかりませんでした。

昨日、NHKで「発達障害」を特集していました。
その中で、発達障害の人は、愛情ホルモン、と言われる「オキシトシン」の分泌が少ない可能性がある、と言っていました。
陣痛促進剤や母乳を出すために使われる、オキシトシンを発達障害の人に処方すると、劇的に症状が改善されるそうです。

これを聞いてすべての疑問が解けました。
オキシトシンの分泌が少ないために、特定の人と、深い愛情関係を作ることができないのです。
男性、女性を問わず、相手に対して、愛情を感じないので、簡単に縁を切ってしまいます。

発達障害の人、特にアスペルガー症候群の人は、職場を転々とする傾向があります。
私もそうです。
一緒に働く人々に対して、何の愛着も感じないのです。
したがって「薄情な人間」という評価がされます。

今、この年になって、特定の人と愛情で結ばれることができないのは、人間として致命的な欠陥である、ということに気が付きました。
不幸の原因の一つです。

人間にとって最も大切なものは愛情だと思います。
キリスト教では「愛」仏教では「慈悲」でしょうか。
健康な人が健康のありがたさがわからないように、健常者は、愛情の大切があまりわかっていないような気がします。
愛情のない人生は本当に悲しく、わびしいです。
生きていてもしかたないので、死にたくなります。
ひょっとしたらキリスト教の聖職者よりも、私の方が、愛の大切さを理解しているかもしれません。

男女が触れ合って、お互いの愛情を育てることを人々に呼びかけたいのはそのせいでしょう。
社交ダンスを多くの人に広めたいのも、同じ動機です。
発達障害の人に限らず、今の日本では、多くの人が、愛情不足で不幸になっているんじゃないでしょうか。
自殺者が異常に多いのもそのせいかもしれません。

もし、私に存在価値があるのなら、「愛の伝道師」になることかなあ、なんて考えています。(笑うところです。)