" I have a dream " とは
1963年8月28日、首都ワシントンへの大行進の中で
リンカーン記念堂の前で行われた Martin Luther King, Jr. の演説。
キャプテンとは、そしてリーダーとは
いかにあるべきか、そしてどんな資質が必要かと
長年にわたり様々な議論がなされてきておりますが
わたしは、その根本は、要諦は
自分のたどり着き編み出した、目指すべきヴィジョンを
"I" "we" といった一人称で堂々と発信し続ける、
そんな強い意志と覚悟を挫けることなく持ち続けることと
そしてそこから生まれる深い戦略・戦術理解に基づいた
表現方法に対するたゆまぬ試行錯誤と創意工夫だと思います。
以前考察しましたように
他人の考え方は変えることができないものですし
それにそのひとの問題意識と自覚と意欲がないかぎり
まわりがどれだけ世話を焼いたところで成績は向上しません。
そんな厳しい現実をじゅうぶんに認識しながらも
それでもなおチームの勝利を、優勝を
“私個人の”ゴールとして切に願い、追い求め続けるときに
get myself deeply involved 、
つまり自ら自分自身を積極的に渦の中に飛び込ませ
“巻き込ませる”ことを自らの意思で選択し
自らの1つ1つの行動、そして勝負やプレイに
これまで以上の明確な意思、意図と集中力を宿すとともに
自らの意図を様々な“コミュニケーション”の表現方法で
あれやこれやと自らの責任で試行錯誤しながら
相手にリーダーシップの“萌芽”を植えつけていく、つまり
フォロワーとしての自覚、つまり一種のリーダーシップを
相手が自分の意志として自発的に行動に移すようになるように
あの手この手を使って刺激していくことこそ
リーダーシップの基本にして第一歩、そして
目指すべき目標なのでしょう。
誰もが最初はどうしても自分の結果だけに精一杯で
勝利に貢献する、ということに関しても
常識の範疇の中で、指導され指示されたとおりに
忠実にこなしていくだけだったのが
安定して勝負の場に出場し続けるようになるにつれて
徐々に組織として、チームとしての勝利や優勝を
自分の課題として積極的に求めることに意識が向いてくる。
もちろんキャプテンになったり、もしくは
積極的にリーダーシップを発揮しようとするということは
どうしても自ら自分に課す重圧を急激に増やしがちで
そのおかげで自らの成績が低下し、大きなスランプに陥ったり
また、自らの拙い“コミュニケーション”のおかげで
うまく相手に伝わらず、様々な衝突や落胆を経験し
それを真正面から受け止めきれずに
いつの間にかその根幹のたる“相手に伝える”ことを忘れ
相手を非難し萎縮させるだけという悪循環を引き起こしたり
自分にはリーダーシップはないと落ち込み諦めたりといった
大きなリスクを背負うということへの覚悟が必要ですし
伝わらないのは自分の伝達方法が未熟だからと反省し
自らの責任と誇りとでもって学び、模倣し、工夫し試行錯誤し
相手に伝わる自分なりの伝達方法を生涯をかけて磨き上げていく
そんな意志と覚悟もとうぜん必要ですよね。
ですから、リーダーシップとはまわりが熱望していようが
“カリスマ”になる必要はまったくないということ。
もっとも危険なのは1人の突出したカリスマが存在し
その他のメンバーが自ら意志を持って考え工夫することを放棄し
ただひたすらつき従うだけへと陥ってしまうこと。
フォロワーシップ、というコトバがありますが
それはまさに先行するリーダーに刺激され啓発された
将来のリーダーシップへの萌芽を自らに宿すことであり
それがあってこそ現在の組織が
個々人それぞれの自らの高い意志と集中力でうまく動くとともに
そして近い将来その“フォロワー”たちが
順調にリーダーの一角を担うように成長するとともに
新たなフォロワーたちに同じように
リーダーシップの萌芽を植えつけていくことに
自らの意志と創意工夫とで挑戦していくという
十人十色の表現方法をとりながらも
世代を超えてリーダーシップが連綿と受け継がれていくもの。
ライオンズでいうならば
キャプテンはナカジさんですが
だからといってチームの浮沈の重要な部分が
キャプテンの双肩にかかっているといったものでは決してなく
リーダーは複数存在して
それぞれが自分の意志と創意工夫とでもって
自分の“チームの勝利、優勝に対する関わり方”を
堂々と遺憾なく発揮しつつますます磨いていくこと、
そしてさらにはそんなリーダーたちに刺激され啓発されて
その他のメンバーたちも誰かに頼りきりになるのではなく
チームの勝利に対して自ら積極的に関わり、
巻き込まれる覚悟を宿して行動し試行錯誤を繰り返すことで
彼らなりのリーダーシップの萌芽、すなわち
" lead myself " を表現することこそ
本来は最も重要なこと。
昨日ゲーム終了後のヤスさんの涙も
ワクさんのビッグ・マウスやポーカーフェイスも
平尾さんの肩の力の抜けた様々なユーモアも
もちろんまだまだ改善の余地は探せば多々あるでしょうが
彼らなりの工夫された“コミュニケーション”の1つであり
立派なリーダーシップの1つの表現方法です。
苦しくってもキャプテンに、リーダーに甘え頼るな。
そしてキャプテンは、リーダーは
チーム全体の浮沈なんて背負えもしない重圧を
メンバーのためといって背負おうとムリをするな。
リーダーシップとは“私”の、私なりの方法で
チームの勝利、そして優勝に対する意志と覚悟とを
アピールし、表現し、伝達していくこと。
その伝達方法の洗練度合いにばらつきがありながらも
組織に所属するすべての個人がそれぞれの成長に応じて
チームの勝利に、優勝に積極的に自らの意志と
そして責任と覚悟とで関わり、恐れずに歩みを進めること、
言うならばリーダーシップが様々なカタチで
組織のいたるところに存在することこそ
あるべきチームの形態ではないでしょうか。