「皆さんも重々承知だと思いますが、リハーサル中はゲストダンサーの方たちが舞台に集中するため、サインや記念撮影を求めるようなことは一切避けて下さいね。」

「はい!」

 東野先生の話に耳を傾ける凜たちの目の奥は、すでにプロのダンサー達と同じ舞台に立った時の想像で喜びに満ち溢れていた。

 5月のオーディションから1 か月半も経つと、独りぼっちだった凜にも話せる相手ができていた。一歳年上の花田心音という名前の女の子で、毎週末、新幹線で神戸から通って来ているのだった。彼女も最初の頃は一人でいる事が多かったから、自然と話すようになった。心音と初めて話したその日、

「私、柳木凜。名前は?」

と聞くと、

「花田心音って言うの。全部小学一年生で習う漢字なの!だから覚えやすいでしょう?」

と、おどけたように、えくぼの出る愛らしい表情で言われた事がとても印象的だった。

 その後はそれぞれがどんな教室に通っていて、自分はどうしてここにいるのか、この先どうしたいのかという事など、真剣に話せる相手になって行った。リハーサル前、休憩の合間、リハーサルの後の帰り道など、本当によく話した。

「ねえ、心音ちゃんは勉強しろって親に言われない?」

ある日の帰り、凜は思い切って聞いてみた。

「ううん、私の親、自分の決めた道を応援してくれてるの。これからの時代は大学行って、良い就職先に着くのがベストな人生じゃないって。だから、自分の道を切り開いていけ!って言われてるの。ただ、約束事として、どんなに辛くても泣き言を言わないっていわれてる。今回のこの舞台も交通費とかすごくかかるの承知でお願いしたら、お金の心配はしなくていいから、とにかく自分のベストで毎回のリハーサルを受ける、それが出来ないならバレエの道は諦めるっていう約束。」

心音の話し方には方言訛りが一切なく、言葉一つ一つにも淀みがない。両親が元々は関東の人で、関西弁は使うのは家の外だけだったから、関西弁を聞き慣れない凜にとってはありがたかった。

「宿題とかは?」

「それがね、結構新幹線でできるの!3 時間も乗ってるから勉強道具めちゃくちゃ持ち込んでるんだ。」

クスッと笑いながらそう言って、カバンの中を立ち止まって開いて見せてくれた。

「うわー!すごく重そうね!」

凜は驚いて叫んだ。

「うん、実際かなり重い!」

そう言って再びはにかむように笑うとまた、彼女特有のえくぼが出た。

「パパもママも終身雇用の時代は終わったって言うんの。」

「シュウシンコヨウ?」

「うん、終身雇用。定年まで同じ会社で働き続ける体制ってこと。ほら、昔の日本はそう言うのが一般的で、女の人は専業主婦で、男の人が外で働くみたいな習慣だったじゃない?」

「あ、うん、そうかも… 」

凜は自分のパパとママの事を思い浮かべてみた。

「だけど、これからは一般企業に就職するだけが幸せな生き方じゃないって言うのがうちの親の考え方なの。自分でこれ!って言う強みを持って、それを生かした生き方をしていくのがこれからの時代だって。まだ、中学生だけど、バレエの道に行くにしても、違う道に行くにしても早いうちに決断しなくちゃ新しい事にも取り掛かれないからって言う事で、応援してくれてる。だから、私は今本気の自分探し中。そう思えば毎週末の新幹線の旅も全く苦痛じゃなくて、むしろ楽しいんだ!」

 凜は彼女の愛らしい微笑みの裏にある強さを見た気がした。

「私の努力はまだまだ足りないんだ。」

凜はそう実感せずにはいられなかった。目指す高みが高ければ高いほど、ごく一般的な普通の生活とは異なっていくことを改めて感じた瞬間だった。

 凜の中学校の同級生が中学生になって部活と勉強の両立って大変!と言っている事が彼女を見ていると何て事はないように思えた。一般的な進路で考えるなら、これから一生懸命に勉強して塾の先生や親たちから煽られながら、自分に合った中で、できるだけ学力の

高い高校に行って、そこそこ名の通った大学に入り、それから就活してある程度名の通った会社に就職するという、順序は凜も知っていた。

会社員になってバリバリ働いた後、日本だと結婚して、家庭に入るか仕事を継続するか選択する人生になるらしい、とい事も知っていた。

 家庭に入るか、仕事を継続するかという問題については、最近凜が読んだ雑誌のコーナーに、女性の社会進出について書かれている箇所があった。そこには

≪ 女性だからはもう古い!掃除、洗濯、料理、子育てを女性が全て請け負う時代はもう終わらせよう!≫

と書いてあった。一方で凜が目指すのは舞台で踊り続ける人生であって、自分が中心の誰にもできない生き方だった。