<真の生き方を目指すとき>
今までの物質的豊かさに恵まれる事が、真の幸福であったのか?、本当の幸福とはどんなものなのか?、正にその真理を求めはじめる絶好の時であると思います。
私はこんな時期だからこそ、この世に生きてきた意義を自らに問い、自己とは何か、この世に人間として生まれてきたその意義は何か、そして何を成すべきか等、精神的課題に取り組む時機到来と思います。
もちろん、将来の生活の心配も必要ですが、肉体を維持することだけにその心配をそそぐのではなく、今こそもっと精神的な、人間が生きる意義を問いただすべきであると思うのです。
こんな大惨事が無ければ、ほとんどの人は人間の感覚欲望の満足の為に、それまでの物質的生活に驀進し続けるでしょう。
今までの物質的豊かさに恵まれる事が、真の幸福であったのか、それでは本当の幸福とはどんなものなのか、これから、その真理を探し始めようではありませんか。
<乱れきった今の世を憂う>
更に猶予すべき世相として、親の子殺し、子の親殺し、聖職者の破廉恥行為、子供の自殺と、私が子供の頃には全く想像も出来ないような事態が日常茶飯事に起きています。
人によっては動物以下の精神次元まで、成り下がっているようです。
動物は本能以上のことはしませんが、人間は欲望によってはどんな悪事もしてしまいます。
その原因は、人間として身に付けなければならない、躾、道徳、倫理、の教育がないがしろにされ、家庭や学校でそれらを教えていないからなのです。
明治、大正、昭和の戦前まで、学校では教育勅語や修身といった徳育が重要な教科となっていました。
この、躾、道徳、倫理の人間としての教育の原点が軽んじられ、自由、民主、権利といったものが重要視され、個人の欲望を自由に求める事が、人間の幸せや社会の発展になると錯覚しているからです。
確かに物質に恵まれることは人間生活に便利さをもたらし、それはそれなりの目的として叶なった事であると思います。
それは、人間の物造りの能力を発揮することであり、それは人間を創られた創造至上主神も認めているからです。
しかし、それはあくまでも必要であるといった条件の元でのことで、「さらに、さらに」の渇望となっては、それは毒と化してしまいます。
釈尊は、物事は中庸に処すべきであることを諭しました。
それは過ぎたるは及ばざるが如しであり、ほどほどの大切さを説いています。
創造至上主神は物質自然の環境を、あくまでも人間が魂の修行に適した利便性を享受するために、その使用を許しているのであって、そこにはほどほどの限度と言うものが課せられているのです。
序文
1-今までの生き方を問う大変革期である
<程を過ぎた競争社会の現実>
<これからは原理原則に生きる哲学の時代>
<人間の生き方にも原理原則がある>
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に進め
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これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ