このところ修行と言う事について、何回かにわたって書いて参りましたが、そこで改めて、修行とは何かと言えば、魂の発展の為の精神的活動と定義できます。

先ずは魂の発展の為の精神的活動とは、人間としての躾けを身に付けることから始まり、道徳を学び倫理を実践し人格の向上を図る事になります。

そして次のステップとして、自己の本性は魂であると完璧に悟り、死後の善き世界への生まれ変わりを目指し、目に見えない神仏に畏敬崇拝する、宗教心を身に付ける段階に入ります。

更に最後のステップである、インド哲学を精神指導者のもとで学ぶ段階に入り、ここに到ってこそ魂の永遠性と、究極目的を肉体を持ちながら達成させるのです。

ここで一番大事なことは、インド哲学の学びにおいては、欲の無い純粋なる資質を持った、精神指導者の指導を受ける必要があると言う事です。

精神的発展の為の修行には、受動的な修行と能動的な修行があります。

先ずは、受動的修行とは様々な苦しみから逃れるための、自己対応がどの様になされるかが、その修行目的となります。

つまりどんな状況にあっても、平静なる感情を保ち、冷静で理性的な行動が出来る事を目指すのが、受動的修行と言う事になります。

その為のキーワードとして私は、無視と、諦めと、赦しの三つの自己対応を提唱しております。

この無視と、諦めと、赦しについて、虹の父さんのブログでは次の様にまとめてくれております。

無視・・・悪意ある中傷などを無視できる忍耐力
人の中傷をそのままにする事で、対抗しない、自然に無視の形となる。

諦め・・・悪しき欲望を無視できる克己心
己の貪欲をそのままにする事で、抑え込もうとするアガキ苦しみが消えていく。

赦し・・・過ちを許す寛容の心
人の過ちをそのままにする事で、「それでもいい」と思える。

この受動的修行に対して能動的修行とはどんなことか、それについて私は以前、その修行こそは創造主神クリシュナに対する崇拝帰依バジャティー)に他ならないと記述しております。

バジャティーとはサンスクリット語で、クリシュナを崇拝するだけでなく愛を捧げる行為、それは精神知識の聴聞、マントラの唱え、クリシュナ意識を広める活動など、能動的な行為を意味するのです。

結論としては、全ての修行はこの能動的修行である、バジャティーに行きつく為の、過程的修行に過ぎず、バジャティーの境地を得なければ、その人の輪廻を含めた人生は、まだまだ修行途中であると言うことになります。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
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バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ