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昨日のブログでは、学校のクラブ活動での暴力や、オリンピック選手の監督による暴力、そして、生徒に「ハゲ」と言われ平手打ち、という事件について書きましたが、暴力と体罰についてその違いを考えてみたいと思います。

暴力と体罰は同じような行為に見えるようですが、
本質的は全く別次元のものであり、これを同一視することは無知なるものと言うものです。

暴力は、
「乱暴な力、無法な力」と言う意味があり、体罰は「身体に直接に苦痛を与える罰」と言う意味があります。

したがって罰は、
「罪または過ちのある者に科する懲らしめ」なのであり、当然懲らしめと言う以上は、「もう二度とやりません」といった反省と戒めを与えるもの、となるのです。

人によっては、
躾けや道徳を身に付けさせるには、言葉では理解させることが出来ないことがあります。

粗野で粗暴な性格の者を、学校や社会生活の中で矯正させるには、言葉で分からない時、また行動できない時は、時として痛みとして諭す事が必要となります。

そのような時の体罰は、決して
暴力とは言わず、痛みとしてでなければ教える事が出来ない、道徳や倫理の精神的教訓と言う事になるのです。

しかし、スポーツなどで行使される
暴力は暴力でしかなく、道徳や倫理を育成する、人間の精神的進歩の教訓とはなり得ません。

暴力は、一般的な
指導に当たっては絶対に不必要な行為と言う事になります。

専門知識は専門知識で、技の指導は技で、芸術の指導は芸で、精神指導は精神知識で、と言うように、
教えている同じ対象をもって徹底的に指導するのが、正しい指導のあり方なのです。

そのような意味からすれば、暴力の指導が認められるとすれば、それは
暴力で人を脅かす暴力団の人達の指導と言うことになってしまいます。

つまり、スポーツの指導はスポーツの技を伝える事であり、また
根性の植え付けは練習に練習に継ぐ猛訓練で培えばいいのです。

決してそこには、
暴力をもって指導することは、介在してはならないのです。

それは暴力自体が、
スポーツ指導の本質と全く違うからなのです。

暴力が指導の中に行使される理由は、そこに指導者の
指導力不足による苛立ちを、暴力で晴らしている無知の行為か、また暴力をもって恭順させる支配欲の行為なのです。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ