先日、NPO法人ウォータービジョン主催のインド哲学塾において、なぜインド哲学を学ぶのか?の問いに対して塾生は、「老いて学べば死して朽ちず」ですから、と素晴らしい答えが返ってきました。

これの意味の詳細は、佐藤一斎(幕末の儒学者、1772~1859)の「言志四録(げんししろく)」に記されたもので、全文とその意味は次のようなものです。
<全文>
少(わか)くして学べば、即ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
<意味>
若いときに学問に励めば、壮年(中年)になったときに意義のある仕事を成し遂げることができる。
壮年になってからも学問に励めば、老年になっても頭や気力が衰えることはない。
老年になってからも学問に励めば、頭はぼけないし、朽ち果てたような死に方をしなくて済む。
(老年になってからも学問に励めば、より見識が高くなり、周りからの尊敬も得て、死んでもその名が朽ちることはなくなる

ここで大事なことは、若いころから続けるということにあるのです。

ここでは、学問としてそれを説いているのですが、そのほか芸事でも人間の生き方(人生哲学)においてもそれは言える事なのです。

私はここに、人間の生き方としての人生哲学も同じ事であり、この人生哲学を学ぶことこそが、人間としてこの物質界で生きる一番の意義であると思うのです。

その分別なるところは、死して朽ちずの解釈に出てきます。

学問や芸術における死して朽ちずの解釈は、死んでもその名が朽ちることはなくなる」と言うことになりますが、インド哲学を学べば「死んだら二度と物質界に誕生することはない」になる、の確信を得る事が出来るのです。

また、道徳や倫理を実践し正しい宗教を学んだ者は「死して来世は善処に生まれ変わる」となります。

この様に、老いて学ぶことも非常に大事なことですが、更にもっと大事なことは「何を学ぶか」が一番重要なことなのです。

幕末の儒学者の佐藤一斎がこれを説いた時代は、まだ物質文明が開花されておらず、物質文明としては新芽の状態だったのです。

この時代の儒学者は、道徳や倫理を備えた高い精神性を持った学者であり、その道徳や倫理を含めた近代文明の学問も目指していたのです。

つまり、精神次元の知識だけでなく、物質次元の知識修得も目指していた、と言うことです。

今、彼の死後150年ほど経ちましたが、たった150年で物質文明は限界を極めていますが、逆に人間の生き方としての精神性は、狂乱的な社会現象からしても、悲惨な状況となってしまっています。

江戸時代には、儒教や朱子学、そして武士の嗜みとしての葉隠れの教えなど、人間としての高い精神知識を備えた、優れた精神社会が基盤にありました。

しかし、今やその人間としての高い精神知識は軽んじられ、必要以上の物質文明の知識に偏っています。

もう物質文明は十分であり、逆に今こそ本来の人間として学ぶべき、究極なるインド哲学の精神知識修得を目指す時が来たのです。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ