人間が娑婆世界で、社会生活と経済活動をしていくうえで、学び身に付けて行かなければならない大事なことは、躾、道徳、倫理なのです。

躾とは、挨拶礼儀、言葉使い、身だしなみ、立ち振る舞いであり、最低限他人に迷惑をかけない事なのです。

道徳は、相手に対する思いやりや優しさ、相手を許す心、相手をほめる心であり、また自分に対しては正直で率直な態度、規則や約束を守る心、そしてやりたくてもしてはいけない我慢、逆にしたくなくてもしなければならない我慢の、忍耐の心を持つことなのです。

そして倫理は、大人になって社会生活をつうじて親しみ、義務、序列、信頼などを身に付けることであり、仕事上における上司や同僚との人間関係や、家庭生活における夫婦や親子関係を立派に築くことなのです。

これらの躾、道徳、倫理を無視し、人に迷惑や嫌われごとをする人を不良人間と言うことになるのです。

この不良人間にも育つ境遇から二つの形の不良人間が生まれてきます。

それは、裕福な家庭で育つ我がまま自己チュー不良人間と、貧困家庭で育つひねくれ反抗不良人間との二つのケースがあります。

裕福な家庭で育ち、何不自由なく欲しいものは何でも与えられ、なんでも自由にでき、それでいて親の躾がされない為に我がまま自由勝手の不良人間ができてしまうのです。

かたや、貧しきゆえに親から面倒や躾が充分に受けられず、ひねくれてしまって不良人間となってしまうケースもあるのです。

不良現象は誰でも多かれ少なかれ、若い時におこす過儀礼の様なものであり、それ自体は一つの成長現象として観ればいいのです。

ここで大事なことは、この不良現象が何時まで続くか、そしてそれがどの程度残っているかが重要なのです。

人によってはこの不良現象が、その人の人間性を向上させる糧となっている人もいるのです。

人間の生まれた境遇を、不良現象の理由として不良を直そうとしないのであれば、その人はそこで人間的成長を停滞させている事であり、その次のハードルへ向かう機会を失うことでもあるのです。

そしてもう一つ境遇による不良現象より、もっと始末の悪い社会的に引き起こす大きな不良現象があるのです。

それは、無智による不良現象であり、これこそがもっともっと深刻なものなのです。

ただ、裕福な家庭や貧困の家庭の境遇による個人の不良は、自分の気づき次第で不良から脱出できることもできます。

しかし、無智による不良現象はその不良現象自体を自覚すらできず、非常に厄介な状態に置かれていると言うことになるのです。

この無智ほど悲しいものはなく、例え頭が良くても経済的に恵まれていても、社会的に大きな迷惑や嫌われごとをしている人たちも含まれるのです。

無智がひきおこす、社会的な大きな迷惑現象は、原発事故のように人間の生存すら脅かす迷惑ものとなってしまうのです。

それは裕福か貧困かによって生まれる、個人の不良現象を超えた、社会的無智による不良現象の方がはるかに罪深いものとなるのです。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ

これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ