バガヴァッド・ギーターの最後の18章では「放棄の完成」について書かれております。

放棄とは、人間の物質的や名誉的欲望に基づいた活動を捨てることと、全ての活動の結果に執着することを捨てること、と教えております。

しかし、精神的発展を促進する為の、精神知識の修得や、心身を浄化する為に決められた宗教義務(ダルマ)は放棄する必要はないのです。

供犠(ヤグニャ)、布施、苦行の活動は放棄してはならず、行うべきである。実際に供犠、布施、苦行は偉大な魂さえも浄化する<バガヴァッド・ギーター18章5節>

とは言え、放棄する必要はないと言われる宗教的義務も、更に高い精神的境地を目指す為には、その宗教教義さえも放棄する必要があるのです。

その高い境地と言うものこそ、バガヴァッド・ギーターで教えているクリシュナへ崇拝帰依することに没頭する境地なのです。

この境地に入った人は逆に、神々に対しても聖者に対しても、祖先に対しても、家族や国家に対しても、あらゆる義務と責任から解放されるのです。

これらに対する責務は、創造主神クリシュナへの崇拝帰依に没頭する行為によってすべて、自動的に満たされているのです。
ここで大事なことは、哲学を学ぼうとする人は、宗教のその宗派の教えを全て放棄して来なければ哲学の道には入れないと言う事です。
宗教の教義中に入るとこの大局的観点が閉ざされ、部分の微視的な理解となり、部分的には確かに間違いはないが、大局的観点からするととんでもない認識となってしまう恐ろしさがあるのです。
ちょうど盲目の集団が、像をそれぞれの部位を触りながら、その感触で像の実態をそれぞれに主張し合っているのに例えられます。
確かにそれぞれの部分の実態は正確に言い当てているけれども、像の正しい姿からすれば全く見当外れの答えを主張することになり、そこに宗教の宗派の限界があるのです。

放棄の完成においては、宗教の教義を超えインド哲学バガヴァッド・ギーターを学んでその教えを実践し、最後は迷わずクリシュナに崇拝帰依に没頭する事だけになるのです。


常に私のことを想いなさい、私に帰依し、私を崇拝し、私に敬意を捧げなさい。そうすればおまえは間違いなく私のもとにくる。親友のおまえにそれを約束しよう<バガヴァッド・ギーター18章65節>

クリシュナは言っています、ただ私のことを想え(マン・マナーハ)そして、恐れるな、躊躇するな、たじろぐな(マー・シュチャハ)と言っています。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ

これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ