人間の姿として生きることは、魂の修行にとっては最も有益であり最高の条件下におかれている事なのです。
とは言えその人間の姿でも、ジャングルに住む未開の人から、物質文明を極めた社会でくらす文明人まで、様々な人間の段階と言うものがあるのです。
しかし、その生活環境や行動様式そして思考能力などを観察すれば、そこにおいては愕然たる違いがあることは、誰でも理解できると思います。
でも、その違いはあくまでも服装や生活様式といった観点での違いを判断した場合です。
そこからすれば、ジャングルに住んでいる人と、文明の発達した社会で生活している人との違いなら、直ぐその違いもはっきり分かります。
しかし、服装や行動様式の違いがほとんど無く、同じ環境の中で生活している人間同士では、外観や行動様式からの違いだけでは、その人の精神的発展程度は分かりにくいものとなってきます。
つまり、文明社会に生きる人間どうしでは、精神的発展段階は、外観ではなかなか判断できないと言うことになるのです。
「馬鹿も口をきかぬ間は馬鹿とは分からない」と言われている通り、全くもって立派な服装をしていれば、馬鹿も馬鹿とは見えないのです。
しかし、ひとたび口をきけば即座にその人の精神レベルは分かってしまいます。
その人がどんなことに造詣をもっているかによって、その人の話の内容が決まります。
金儲けに夢中になっている人は金儲けの話ばかりし、生活に追われて必死に会社勤めをしている人は会社の話ばかりとなり、趣味に興じているひとはその趣味の話に夢中になるのです。
今の世の中の価値観は、「欲望を満たすことが幸せであるとする」、物質次元の思考しかもっていない社会となってしまっています。
この物質次元の欲望を満たすことが幸せであるとするならば、ジャングルに住む未開の人達もおなじ物質次元の生活をしているのです。
ただその対象物が、ジャングルの中にあるもので済ましているのか、数え切れないほどの贅沢商品のなかに埋もれて生活しているかの違いにしかすぎないのです。
従って、その生き方が自分は魂であると完全に自覚する為の、精神的修行をしない限り、本質的な生き方においては未開人と同じと言えるのです。
人間として生きることは、自己の魂に目覚めることから始まり、そしてその為にどんな生き方をするか、最後に何処に赴き何をするか、
この三つをしっかり自覚して日々を過ごすことなのです。
確かに物質文明に生きることは、便利で楽しく快適に暮らすこともできますが、逆にその為に払う犠牲もそれに比較して大きいものです。
その犠牲となっているものこそ、人間にとって一番大事な魂のあるべき方向性なのです。
この気付きがなければ、どんなに豊かな生活をしていても、本質的には未開人と同じ生活であると言えるのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ