物事を推理、推論するには帰納推理と演繹推理の二つの方法があります。
帰納推理とは、個々の具体的事実から真理を導き出すことで、また演繹推理とは真理を押し広げて一般性をつかむ事なのです。
つまり一般から真理へ向かうのと、真理から一般へ向かうと言う、全く逆の道筋になると言うことです。
これを宗教やインド哲学の観点から言えば、いろいろな宗教を学ぶことは帰納推理にあたり、インド哲学を学ぶことは演繹推理にあたります。
どの宗教の学びも宗教は所詮、究極の真理に到達する為の一つの道であり途中経過だからなのです。
つまり真理の一側面を、その人が好んだ形で、学びや修行をしていると言う事なのです。
従って宗教とインド哲学では推理方法が全く違うことになり、その全く違うことの為に、宗教からインド哲学の道に入るのが非常に難しくなるのです。
特に、特定の宗派の教理に心酔している人は、その特定の教理から抜け出せないだけに、これまた非常に厄介な状態にあるのです。
例えて言うならば、象の全体を見据えてから、象の鼻や、足や、耳や、尻尾などの各部を観察しに行く(演繹推理)のと、逆にそれぞれの各部を観察してから、象の全体を見据える(帰納推理)事に例えられます。
つまり真理を知ってからこの世の実態を観察するのと、この世で起きている様々な事象を体験してこの世の真理を知っていくと言うことに、置き換えられます。
現実には、ほとんどの人が象のそれぞれの分部を知るだけに留まって、象の全体を見るところまでに想いが到達しないのです。
これと同じく今の教育制度にあっては、学校教育で真理を知るべき宗教哲学は完全に排除されており、一番肝心な宗教哲学の教えが全くなされていないままに、現実の社会に放り出されてしまっていると言うことに当てはまるのです。
インドではグル・クラと言って、精神哲学を学ぶ学生(ブラフマチャーリー)は、精神指導者の基で宗教哲学をしっかり学び、人間としての人格や品性を身に付けてから、社会に旅立つ制度があるのです。
この世の真理をしっかり学んでから現実社会に飛び込み、色々な体験を通じてこの世に生まれた意義を知り、その目的を理解し、目標に向かって正しく突き進む事ができるのです。
この演繹的な生き方ができなければ、それは非常に無駄な危険な人生を送ることになり、更には終わりのない輪廻を繰り返すことにもなるのです。
インド哲学のバガヴァッド・ギーターを知らずに実社会に飛び出すことは、海図と羅針盤を持たずして遠洋漁業に船出するようなものと言えるのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ